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火の鳥がとぶ年はかならずキキンの年。十二歳のあさは,火の鳥を退治しに,死んだ母の形見のかんざしをもって,一人で山に……。
秋田の尾去沢鉱山の始まりの話
滝平二郎氏と斉藤隆介氏のすばらしい作品に感動しました!
あさは12歳の女の子 夜中に妹のそでを起こしておしっこさせてあげる。
母がはそでを産んですぐに死んでしまった。どんなに悲しかった事でしょう・・・
8歳のあさは、赤ん坊に乳をもらいに近所のおばさんの家をまわったんです。
8歳 小学生ですよ。
私が8歳のときは、学校からかえると友達と遊び回ってたなあ〜(私ならどうしたかな? こんな事考えられたでしょうか?)
この時代でしかも母をなくしてあさは、必死で生きていたんでしょう。
そでにおしっこさせたある夜 火の鳥を見たんですよ!
その美しいこと! おもわず 目を奪われました!
しかし、あさたちにとったら 火の鳥は、稲や 麦を焼き 不作で苦しむことになるのです。
貧乏な百姓たちは食べるものもなくなる。わらびの根をたべていたんですね。(どんなモノか知りません)
今の時代と大違いですね。(食べ物をほかしたら もったいない もったいない・・・飽食の今の日本・・・いつまでも続くとは思えないですが。)
お父さんやみんなは、火の鳥をおそれていましたが、どうすることも出来ません 。
あさは、なんとひとりで火の鳥を退治しに山を登るのです。
なっと言う勇気!
母の形見のかんざし持って、火の鳥とたちむかう姿、迫力のあるお話と絵に私は引きこまれました!
あさはかしこい子なんです、しかも勇気があり 優しい こんな女の子に思わず応援している私がいました。
人間のひっしさは、どこから生まれるのでしょう・・・
生きることの厳しさ 今の私たちも 毎日生きています。
あさのような勇気と優しさは、どこから生まれるのでしょうかね? (にぎりすしさん 50代・その他の方 )
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