十四世紀末京都の生まれ。父は後小松天皇といわれる。母は伊予局。幼名、千菊丸。
六歳の年に京都安国寺の像 外和尚のもとで、禅僧になるべく修行を始める。名を周建。このころ、一休はとんち小僧として評判をとり、数々の逸話を残す。十七歳で西金寺の謙翁に師事し、宗純と改名する。二十二歳、近江の国(滋賀県)の禅興庵(現在の祥瑞寺)の華叟の門弟となり、厳しい修行を続 け、二十五歳の時、華叟から一休という号をさずかる。
室町時代の禅宗の坊主として有名な「一休さん」は、活き仏ともいわれ、人々から尊敬され親しまれた。南北朝時代から戦国時代にかけて、乱世を生きた「一休宗純」 は、風狂な坊さんであった。1481年、酬恩庵(一休寺)にて八十八歳の生涯を閉じる。
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