「思い切ってバットを振ってみろ。 自信を持て。君ならできる」
監督の指示に気合を入れて構えるぼく。 …来た!
ちぇー、ボテボテのセカンドゴロ。ダブルプレーでチームも負けちゃった。 あーあ、もっとバッティング上手くなりたいよ。
試合でちっとも打てなくて、落ち込むルイが出会ったのは、野球部出身の仙ちゃん。仙ちゃんはルイに色々とアドバイスをくれます。レギュラーとして活躍していただけあって、さすがに詳しいのです。だけど、そんな仙ちゃんもホームランは打ったことがないと言う。
「打ちてえなあ、ホームラン。一生に一度でいいから、でっかいのをな。」
ルイは、彼がけがをしてリハビリ中だという事、それでも野球への情熱を失っていないことを後から知り、ぼくもいつか…と誓うのです。
野球が大好きな少年へ。夢にむかって歩き始めた子どもたちへ。 そして、野球を知らなかったお母さんたちにも。
見てもらいたいのは、仙ちゃんが目の前で見たという場外ホームランの場面。 そこには、有無を言わさぬ感動と野球の奥深さが詰まっています。
(磯崎園子 絵本ナビ編集長)
試合でちっとも打てないぼくは、野球部出身の仙吉に出会う。彼はけがをしても野球への情熱を失っていなかった。 ぼくもいつかホームランを打つ。あきらめずにがんばろうと誓うのだった…。 夢にむかって歩き続けることの大切さを、野球が大好きな少年と野球を愛し続ける青年の交流を通してえがく。
ホームランを打ったことがない。
たぶんホームランを打ったことのある人の方がうんと少ないのではないだろうか。
ホームランを打てる人の条件、まず野球をやったことがある人、バッティングにセンスがある人、相手投手の調子がよくない時、あるいは風の強さ。
だから、ホームランを打った人はとってもうれしいはずなのに、ちょっと照れくさい。笑いがこみあげてくるはずなのに、それを奥歯で噛みしめている。
でも、そんなことどもも、あくまでも想像。
だって、ホームランを打ったことがないのだから。
それは人生でもそうかもしれない。
ホームランを打てる人生なんてそうそうあるものではない。
長谷川集平さんの絵本はいつも何かを考えさせる。
大きなことのはずなのに、けっして声高に語るのでもない。絵も派手ではない。
静かに、大切なことを話しかけてくれる。
この絵本はホームランを打ったことのないルイ少年が町でかつて野球がうまかった仙吉にホームランの何事かを教えてもらう話だ。
仙吉は交通事故にあって野球ができなくなって、今はリハビリ中。
けれど、ルイにホームランの魅力をやさしく伝える。
仙吉は野球ができなくなったことを愚痴ることもしない。ただ、野球の素晴らしさを話し、ホームランの美しさを語るだけだ。
それでいて、静かに、だ。
仙吉を別れたルイはそのあとでゆっくりとバットを振り続ける仙吉の姿を見る。
仙吉がどうしてバットを振り続けるのかをルイは知っている。
ホームランを打つために、だ。
けれど、そのホームランは野球の世界だけのホームランだけではないことにルイは気づいたかもしれない。
そんなことを長谷川集平さんは声高にはいわない。
長谷川さんの文と絵で、読者である私たちがわかるだけだ。
ホームランを打つことは難しい。
でも、ホームランを打ったことのない悔しさとか寂しさとかはホームランを打ったことがない者だけがわかることではないだろうか。
そのことを大事にしているなんていえば、負け惜しみに聞こえるだろうか。 (夏の雨さん 50代・パパ )
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