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雪かきは大変です
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投稿日:2016/01/24 |
雪というのはセンチメンタルですが、時に過酷でもあります。
特に雪のほとんど降らない都会の人にとって、雪はあこがれのようなもの。降ってきたら、子どもたちの歓声が聞こえてきます。
でも、雪国の人にとっては屋根の雪下ろしとか日々の生活に重くのしかかってきます。
雪が降ってきたら、空を見上げて、雪国の人たちのそんな生活に少しは思いをはせてみるのもいいかと思います。
この絵本のように。
この作品で作者の佐々木潔さんは講談社絵本新人賞を受賞しています。(1980年)
絵本を読むと、雪国の小さな駅の、雪の日の様子が淡々と描かれています。佐々木さんはきっとそんな世界で育ったのだろうと思ってしまいましたが、作者のプロフィールには東京生まれとあります。
東京で生まれて育っても、こんなにうまく雪国の生活を描かれるのですね。
雪にはそんな力があるのかもしれません。
雪が降り続く駅の朝。駅員さんの仕事は、まずホームの雪かき。お客様が滑ったりしたら、危ないですからね。でも、この駅には都会の駅のようにたくさんの利用者がいるわけではありません。
たった4人。
でも、この駅がないと、この人たちは困ってしまいます。
彼らが行ってしまうと、次は小荷物の送り出しです。
都会に住む子どもたちに故郷のお母さんから何か送ってあげるのでしょうか。
貨物列車が駅に到着しました。
小さな駅に、新しい荷物が届きました。この中にはどんなものがはいっているのでしょう。
雪は静かに、静かに、降り続けます。この絵本には文はついていません。
読者は静かに雪の音を感じればいいのです。
駅員さんは朝の乗客が帰ってくるまでに、またホームの雪かきです。
やさしい駅員さんです。
そして、夜になりました。どうやら、雪もやみました。空には大きな三日月が。
きっと音も消えた、静かな夜でしょう。
こんな素敵な「ゆきのひ」を、東京で生まれた佐々木さんはどうして描けたのでしょう。
きっと、雪の日に降ってくる空を見続けたのではないかしら。
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あなたが何歳であったとしても
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投稿日:2016/01/21 |
この本のことは、小泉今日子さんが読売新聞に掲載した書評を集めた『小泉今日子書評集』で初めて知りました。
2007年に理論社から単行本で出て、今では新潮文庫に収められていますから、たくさんの愛読者がいる一冊になっています。
この本のことを小泉さんは「何冊も買っていろんな人のお誕生プレゼントにしました」と書いていました。
なんとも不思議なタイトルの本を誕生日プレゼントにもらった人は、一瞬きょとんとなるかもしれません。でも、せっかくもらったのだからと、読んでみて、初めて贈ってくれた人のあたたかさがわかるのではないかと思います。
だから、もし、この本を誕生日プレゼントでもらったら、とっても大切にされていると思って下さい。
小泉さんは、また、こんなことも書いています。
「子供の頃にこの物語を読んだら私は何を感じ、何を考えたのか知りたくなった。」
それは少し違う気がします。多分、この本にはいっている話は子供だけでなく、十代でも二十代でも感じ方が違うと思います。結婚して(しなくてもいいのですが)子供が出来て読むとしたら、ハードな仕事を任された時に読んだとしたら、定年になって仕事を辞めたときに読んだ時も、また違った読み方になるような気がします。
私が読んでみたいと思うのは、もう間もなく命の灯が尽きようとしているその数時間で、この本を読んだら、「何を感じ、何を考えたのか知りたくなった」です。
この本には7篇の動物寓話が収められています。
私が好きなのは、「ないものねだりのカラス」。この話はみんなに嫌われていたカラスがシラサギと友だちになって温かな気持ちになる話。
こんな素敵な文章があります。「ただのにぎやかなだけのおしゃべりは、心からの言葉とは違う」。
この文章に出会っただけでも、この本を読んだ値打ちがあったような気持ちがします。
でも、きっともっと若い時に読んでいたら、別の作品がお気に入りになったかもしれません。そのことがわからない。それがとっても残念で仕方がありません。
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想像の翼をひろげて
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投稿日:2016/01/17 |
宮沢賢治の年譜によると、大正12年(1923年)7月31日、青森、旭川を経て稚内から樺太に渡るとある。翌8月11日には花巻に戻っているから、かなりの強行軍だ。
賢治、27歳の時である。
この時の賢治は農学校の先生で生徒たちの就職先を探すことが目的だったらしい。
旭川に着いたのは、この絵本の作者あべ弘士によれば、8月2日の朝5時頃だという。
のちに賢治はこの時のことを「旭川。」という詩で残している。
この絵本の裏表紙の見返しに、その詩がのっている。
書き出しはこうだ。
「植民地風のこんな小馬車に/朝はやくひとり乗ることのたのしさ」。
わずか28行の詩である。
その詩にインスパイアされて生まれたのが、この絵本だ。
『あらしのよるに』で人気絵本作家になったあべ弘士は、旭川動物園の飼育係として働いていた経験を持って、その後も動物たちの生態を巧みに描いた絵本を数多く刊行してきた。
この絵本では作風を思いっきり変えている。
これこそ、新境地という言葉が似合う、一冊だ。
読みながら震えるような感動を味わっていた。
何故なら、絵の素晴らしさをまずあげよう。
巧みなデッサンと色彩の配置。絵本の絵というよりも文芸作品の挿絵のような厳かな感じがいい。
次に賢治の詩から想像の翼を大きく広げていること。
先ほども書いたように賢治の詩はわずか28行。その詩をそのまま描いたわけではない。
朝の旭川駅の様子をどう絵にするのか、町の様子はどうか。人々の姿は。
あべはこの作品を描くにあたって、おそらく当時の旭川を描いた絵か写真を参考にしたのではないだろうか。
賢治のいた旭川という町が生きているのだ。
そして、オオジシキという鳥。
この鳥のことは賢治に詩には出てこない。
しかし、あべはこの鳥をまるで天の使いのように描いている。
あべはこう文をそえる。「それはまるで/天に思いを届け、天の声を聞いて帰ってくる使者のようだ」。
あべはこの鳥に宮沢賢治の思いを託したに違いない。
この作品が今後あべ弘士の代表作になるような予感すらする。
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あなたには「アイタイ」人がいますか
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投稿日:2016/01/11 |
長谷川集平さんは2011年3月11日の東日本大震災以降、いくつかの作品で震災や福島原発事故を暗示する作品を発表してきました。
この作品もそのひとつです。
長谷川さんはこの作品に関して、こんな言葉を残しています。
「1984年に描いたショートショート・コミック「再会」。1986年にチェルノブイリ原発事故。1988年に絵本化を思いついたものの出版のチャンスがありませんでした。3.11を経験して、この作品が語り出す時が来たと感じています。「再会」は「アイタイ」になりました。会いたいあの人に届きますように」
一人の少年が歩いている。これがこの絵本の最初のページ。
少年の頭上に不気味な大きな雲が覆ってきます。「ツイニ キタカ」、少年は空を見上げながら、そうつぶやきます。
黒い雲の下で少年は「アノヒトハ イマ ドコニ イルノカ」と思います。そして、「アイタイ」と。
場面は変わって、少女がひとり歩いています。
彼女は自分の影の中に、いつもいる「チイサナ ムシ」を見つけます。「マタ アッタネ キミ」。
影の中の小さな虫を見つめながら、少女は「アノヒトハ イマ ドコニ イルノカ」と思います。そして、「アイタイ」と。
小さな虫は少年だということも知らないでー。
長谷川さんはこのラブストーリーのような絵本にどんな思いを重ねているのでしょうか。
津波や原発事故で肉親を喪ったり、自分たちが生まれ育った故郷を追われて人たちがたくさんいます。理不尽な別離に「アイタイ」という思いはいつもありつづけます。
それをもっと大きな世界で見ればどうでしょうか。
私たちはこの絵本の世界のように、遠く離れさった人たちといつも一緒にいるのかもしれません。ただそのことに気がつかないだけで。
「アイタイ」人を想うというのは、会えることにつながっているのではないでしょうか。
ホワイトボードを引っ掻いてできた錆の線。それにパソコンで彩色したという長谷川さんの異色な絵本は、深い思索の時を読者にもたらしてくれます。
あなたには「アイタイ」人がいますか。
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ななくさ なずな とうどの とりが
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投稿日:2016/01/10 |
正月向けのクイズでよくあるのが、「春の七草全部言えますか」。
これは難問。
答えを書くと、せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ、の7つ。
名前を聞いても、はてどんな草なの? と首をひねってしまう。
そういう人はぜひ、この絵本を開いてみて下さい。
この絵本の主人公きりかちゃんのおばあちゃんが丁寧に教えてくれます。
ちなみに、すずしろというのはダイコンのことです。
正月7日は七草粥を食べるという習慣が昔からあります。
俳句の季語を集めた「歳時記」では「新年の部」に載っています。
そもそも七という数字には聖なる意味があるようで、それと同じ数の菜を炊き込むのは、春の到来を喜ぶとともに数の力が期待する意味もあるようです。
7日あたりにはパックに七草をいれてスーパーでも販売されていますから、今でも残るいい習慣です。
この絵本の中でも、きりかちゃんのおとうさんがパックを買ってきています。
正月はおせちがあってつい暴飲暴食をしがちです。
元旦から一週間がたって、胃もお疲れでしょうから、お粥を食べるのもいいですね。
それに、白いお粥に菜の緑が映えますから、見た目もきれいな料理です。
絵本ではおばあちゃんが大活躍。
きりかちゃんも弟のこうたも、おばあちゃんのじゃまはしてないかな。
なんと、おばあちゃんは「七草がゆの唄」まで歌ってくれるのです。
「ななくさ なずな とうどの とりが ・・・」、でも、どんなメロディーなのでしょう。
きりかちゃんの家はおばあちゃん、おとうさん、おかあさん、それにきりかちゃん姉弟ですから、こういう伝統が伝わりやすい。どこかでそれが切れてしまえば、いい習慣も途絶えてしまいます。
もし、きりかちゃんが七草がゆをおばあちゃんから教えてもらえなかったら、きりかちゃんが大きくなっても伝わっていきません。
それでも、この絵本があれば、それもなんとか防ぐことができます。
絵本というのは、そういう大切なものを伝える情報でもあるのです。
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みんな ふくふく まいにち にこにこ
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投稿日:2016/01/03 |
日本には四季折々の行事とか風習があって、時代がどんなに変わって、それは大事にしたいと思います。
日本の絵本はそんな文化を大切に守ってくれているところがあって、子どもたちにもわかりやすく描かれているのがうれしい。
この『おふくさん』という絵本もそんな一冊です。
山の奥深くにこの絵本の主人公おふくさんたちが「みんな ふくふく まいにち にこにこ」しながら暮らしています。
ここには十人のおふくさんが住んでいるのです。
それぞれの名前と性格が表紙裏に描かれています。お習字が得意なむつきさんとかお世話が好きなうづきさんとか本が大好きふみちゃんといった具合に。ちなみに彼女たちの名前は月の旧名がつけられているのですが、おふくさんたちは十人ですから、二つだけつけられていない月があることになります。絵本で探してみて下さい。
そんな平和な家にある日、怖い赤鬼がおふくさんたちをこわがらせにやってきました。
でも、大丈夫。
おふくさんたちは「おにさん どうすりゃ わらうかな?」なんて考えてしまうくらいですから。
きせかえごっこや豆大福のごちそうで、赤鬼を笑わせようとしますが、反対に怒ってしまいます。
そこで、全員が集まって、ひそひそ打ち合わせをして、にらめっこ対決をすることに決めました。
まずは、おふくさんたち。「ぷ!」とほっぺを膨らませます。
赤鬼もまけじと「ぷ!?」。
おふくさんたちは、さらに「ぷー!」。
ページいっぱいに描かれたおふくさんたちの変顔。ここがこの絵本の読みどころです。
きっと、子どもたちはこのあたりでゲラゲラ笑い転げるのじゃないかな。
さあ、おふくさんたちは赤鬼とのにらめっこ対決に勝てるでしょうか。
この絵本の最後に、「笑う門には福来たる」という言葉について作者の服部美法さんのコメントがついています。
「つらいとき、かなしいときは、みえない おにが」やってくるのだとか。そんな時こそ思いっきり笑おうって。
こんな楽しいおふくさんたちはきっと私たちの心の中に住んでいるのではないでしょうか。
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雪、降らないのかな
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投稿日:2015/12/27 |
今年の冬は近頃めずらしいくらいの暖かさだ。
暖冬と一言で片づけるには深刻なくらい暖かい。
冬の寒さや大雪も嫌なものだが、それでも冬だからと辛抱できないことはない。それがこれだけ暖かいと、生活の色々なところに支障が出てくる。
なんといってもスキー場。雪が降らないのだからすべりようがない。
洋服屋さんも冬物が売れないと困る。コートとか生地を多く使う冬物衣料は洋服屋さんにとって大切な売り上げだ。
もちろんこの暖かさで雪下ろしをしなくて楽だという人もいるだろう。
それでも、冬は冬らしい気候がいい。
雪を待ち焦がれる人にとって、毎日の天気予報を見ることは欠かせられない。
あるいは天気次第で売上高が変わる小売店などは天気予報は大事な要素だ。
天気予報が絵本になるなんて考えてもみなかったが、大阪のギャクのノリがいい長谷川義史さんにかかったら、天気予報だって楽しい絵本になってしまうのだから。
家の前で元気に体操をしているお父さん。その絵に「きょうのやまださんちは はれ」と文がはいる。
ところが、次のページでは「こうずい」。えー。どうして? と、絵を見ると、やまださんちの男の子のふとんには大きなおねしょのあと。確かに洪水なみ。
やまださんちはお父さん、お母さん、男の子、そしておじいさんとおばあさん。
こういう家族構成もだんだん少なくなってきたが、ドラマになりやすい。
昼ごはんのあとで韓流ドラマを見て泣いているお母さんは「にわかあめ」。
おじいちゃんが食べているのは「あられ」、おばあちゃんはかき氷の「みぞれ」を食べている。
押入れを開けたら、中からおもちゃが「なだれ」落ちて、ついにお母さんの「かみなり」。
そのでも、この一家のいいところは、夜にともなれば、みんなにこにこ。
「そして あしたも やっぱり はれるでしょう」。
この絵本を読むと、私たちの生活の中にさまざまな天気が影響していることに気がつく。
だから、天気予報はつい見てしまう、大事な情報源なのだ。
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一年に一度の夜だから
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投稿日:2015/12/24 |
絵本とクリスマスはとても相性がいい。
雪の白、サンタクロースの赤い服、緑のクリスマスツリー。黄色の星、クリスマスは多彩な色を持っているから、絵本になりやすいということもあるのだろう。
それに子どもの夢とサンタクロースの持ってくる贈り物とつながっているというのも、いい。
毎日がクリスマスだったら、どんなにいいだろう。
クリスマスだからこそ、贈り物に絵本というのも似合っているではないか。
だから、とても繊細なタッチの絵を描く黒井健さんの絵本には「ギフト版」とついている。ラッピングがとても似合う絵本だ。
子ども向けではなく、彼女にさしだすのもいいだろう。どういう反応をしめすか見たいものだ。
この絵本の表紙のサンタさんは自分で赤い服のボタン付けをしている。
この絵本は12月24日のクリスマスイブの日にサンタさんがどんな一日を過ごすのかが描かれている。
まずサンタさんは、もっともこの絵本では「サンタクロース」という言葉は一度も出てこないのだけど、朝昇ってきた朝日にお祈りする。そのあと、朝食のしたく。ベーコンを焼いたり、スープを煮たり。
この日の目玉焼きは二つ。大切な日なんですから。
そうそう、相棒のトナカイたちにもえさをあげないと。
朝の一仕事が終わったら、暖炉の前を本を開きます。でも、ついうとうと。
そうして、今度はランチ。
「スモークチキンと自家製のイチゴジャム」でサンドイッチをこしらえます。
半分は夜のお弁当。
サンタさんは夜通し働きづめですから、おなかもすくのでしょう。
そうしている間に、「一年に一度の夜」がやってくる。
3月3日だって、5月5日だって、「一年に一度」の日ですが、12月24日はサンタさんにとってとっても大切な「一年に一度の夜」なのです。
きっとそれは一生にたった一度の夜なのかもしれない。
「どうしてこの絵本を私に?」って聞かれたら、こう答えませんか。
「一年に一度の夜だから、君と一緒に読みたかったんだ」なんて。
どういう反応をしめすか見たいものだ。
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あなたが天使
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投稿日:2015/12/23 |
天使に会ったことはありません。
といっても、M製菓の背中に翼のはえたかわいい天使に会ったことがないだけで、もしかしたら人間の姿に変身した天使にはこれまでもたくさん会っているのかもしれません。
私たちは見たままの姿でその人のことを判断してしまいがちです。でも、よくよく見ると、実はその人がとっても優しかったり、おこりんぼうであったり、さみしがりやであったりがわかってきます。
きっとその中には天使もいたのではないかと思います。
よく見ると、絵本を読んでいる子どもたちみんなが天使みたいではありませんか。
三日間降り続いた雪がようやくやんだまっ白な世界を一人の少女が歩いてくる、そんな場面からこの絵本は始まります。少女の名前は、サイちゃん。
家に帰ったサイちゃんは家の外にウサギを見つけます。ウサギを見ながら、不思議の国のアリスのように、ウサギについていきたいと思うサイちゃんは、どことなく寂しそう。
そんなサイちゃんを気づかってか、サイちゃんの大好きなマコおばちゃんが泊りにきました。
マコおばちゃんと散歩に出たサイちゃんはとっても楽しい遊びを教えてもらいます。
雪の上に寝転がって、手足をばたばた動かしてみるのです。
すると、どうでしょう。
雪の上にまるで天使がいるような形ができます。
マコおばちゃんはこの遊びをアメリカで知ったそうです。
いつも子どもを見守ってくれいる天使たち。
サイちゃんにとって、マコおばちゃんは天使だったのかもしれません。
この絵本はそんなお話。
長谷川集平さんの絵はどこまでもやさしい。そして、ちょっぴりかなしい。
人は悲しいとか寂しいという気持ちをもっているから、他人に対してもやさしくなれるような気がします。ちょうどこのマコおばちゃんのように。この絵本の作者の長谷川集平さんのように。
きっとこの絵本を読んだあと、天使に会ったような気持ちになります。
よおく見ると、読んでいるあなたが天使になっていませんか。
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あなとあな
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投稿日:2015/12/13 |
この絵本を読んで、谷川俊太郎さん文、和田誠さん絵による『あな』という絵本を思い浮かんだ人は相当の絵本通です。
この絵本は長谷川集平さんによる『あな』へのオマージュ(尊敬・敬意)なのです。
実は長谷川さんの代表作でもある『はせがわくんきらいや』は谷川さんたちの『あな』と同じ1976年に刊行されています。
きっとそのことがこの作品を描いた動機だったのでしょうが、長谷川さんは谷川さんたちの絵本にもっと大切なものを感じとっていたと思います。
この本の最後に、こんな文があります。
「ここに だいじなものが うまってる」
長谷川さんにとって、谷川さんと和田さんが開けた「あな」は、子どもの感受性や空想の世界をどこまでも広げてくれる「あな」そのものだったのでしょう。
全体が谷川さんたちの『あな』によく似ています。おかあさんやおとうさんや妹が来て、色々いう。けれど、少年は何かに夢中になっている。長谷川さんのこの絵本では、転校生のふくしましろうとのキャッチボールです。
これはうがった見方かもしれませんが、この転校生は福島原発事故で転校をよぎなくされた少年なのかもしれません。
そういうことを全部含めて、彼らが夢中になっていること。
それに意見するものがいるということ。
私たちの世界はそういうことで出来ている。
長谷川さんは谷川さんたちの絵本からそういうことを感じとのではないでしょうか。
この絵本に付いている帯に谷川さんがこんなメッセージを寄せています。
「集平さん、素敵な返球ありがとう! 穴に埋められた40年の年月が、絵本の中で今日の青空に溶けていきます。」
なんと素敵な言葉でしょう。
この絵本の中でひろしくんとしろうくんはキャッチボールをしているのですが、長谷川さんと谷川さんも絵本という世界で、言葉のキャッチボールをしているのです。
だから、40年という時間が一気に埋まってしまいます。
絵本にはそんな力もある、ということを改めて感じさせてくれた一冊です。
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