わたしはどうして生まれてきたの? わたしはどうしてこの名前になったの?
だれでもふっと胸にそういう問いがめばえるときがあるでしょう。
さくら子がその問いをお母さんのまえで口にしたのは、二年生の夏でした。「わたしの名前ね、どうしてさくら子になったの?」「山のさくらの木からもらった、さくら子よ。そうだ、この夏休みに、あのさくらの木にあいにいってこようか、ね」
そういわれてさくら子が会いにいったさくらの木は、下半分が栗の木で、上半分が桜の木という不思議な木でした。台風で頭を折られ、上へのびていくことができなくなった栗の木のウロに、小鳥がさくらの種をおとし、芽がのびて大きくなったのです。「くりの木がみごもってね、さくらという赤ちゃんを生んで、こんなに大きく育てたのよ」
この木は「みごも栗」と呼ばれ、赤ちゃんがほしい人が会いにくるようになったのだとお母さんは話してくれました。さくら子もそんなふうにさずかったのだと。くすぐったい思いでうれしく思ったさくら子でしたが・・・。六年生になったとき、さくら子はあることに気づきます。かあさんが「みごも栗」を大事に思う深いわけ。それは・・・?
成長して「みごも栗のさくら、みにいこう」とお母さんを誘うさくら子が、しっとりとまぶしく、こみねゆらさんが描く少女がひかえめな色彩のなかで光を発しているように感じます。それはたいせつな日常の輝きに似て・・・。絵本にしては文字は多目ですが、創作童話の名手、宮川ひろさんの読みやすい文章で長く感じさせません。母親であれば、ぐっとくるお話だと思います。子どもも「生まれてきた不思議」をどこかで感じ取り、大事に思える本ではないかと思います。
(大和田佳世 絵本ナビライター)
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