おかしなはがきが、ある土曜の夕方がた、一郎のうちにきました。
「あなたは、ごきげんよろしいほで、けつこです。
あした、めんどなさいばんしますから、おいでんなさい。
とびどぐもたないでくなさい。 山ねこ 拝」
翌日、一郎はわくわくしてでかけていきます。
谷川にそった道を、木や滝に、山ねこが通らなかったかと聞きながらのぼっていくと、暗い森のなかのぱっと開けたところに出ました。そこは、うつくしい黄金色の草地でした。
草は風にざわざわ鳴り、立派なオリーヴいろのかやの木の森でかこまれた場所のまんなかに、背のひくい、おかしな形の男が、手に革鞭(かわむち)をもって立っています。
山ねこの馬車別当と名乗るこの男と、一郎が言葉を交わしていると、どうと風が吹き山ねこがあらわれました。
そして足元には、数えきれないほどの黄金色の円いどんぐりが。
どんぐりたちはわあわあとくちぐちに「だれがいちばんえらいか」を叫んでいるのです。
「あなたのお考えをうかがいたい」と意見を求められた一郎は……?
宮澤賢治が、大正13年に出版した童話集『注文の多い料理店』の冒頭に収めた「どんぐりと山猫」。
宮澤賢治の「言の葉」が、まるでひとつひとつ音をたて、ひびきあうかのように物語を彩ります。
画本を開けば、絶妙に制限されたうつくしい色彩と構図に魅入られ、いつしか読者は、すきとおった風にはこばれるように、森のふしぎな草地に立っているでしょう。
どってこどってこと変な楽隊をやるきのこや、馬車別当がならす、ひゅうぱちっという鞭の音が聞こえる気がするでしょう。
銅版画のように見える画は、スクラッチという技法(専用の特殊なボードを引っ掻いて描く技法)で描かれたもの。
本書には色つきの原画は存在せず、原画は複数枚のモノクロ。とくべつなインク刷りの版を、風合いのある紙に重ねることで、色がついた世界をつくりだしています。すなわちできあがった本こそが、正真正銘の本物。いわば一級の“工芸品”なのです。
1980年頃から、高い美意識で挑戦的な絵本づくりをつづけてこられた小林敏也さんの「画本 宮澤賢治」シリーズは、小林敏也さんのライフワークであり、2003年には宮澤賢治賞を受賞しています。
一時、絶版となっていましたが、待望のシリーズ復刊となりました。シリーズの他の本もあわせてご注目くださいね。
森のなかのふしぎな秋の一日が、ぎゅっととじこめられたように。
その日に一郎が感じた、秋の光のように。きらきらと透徹した空気を放つ画本です。
(大和田佳世 絵本ナビライター)
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