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【長新太没後10年記念連載】 担当編集者&絵本作家インタビュー2016/04/14
長新太さんには、50年来ずっと仲良しだった絵本作家がいました。 今回はそのひとり、多田ヒロシさんに長さんのお人柄、3人で出かけた旅行先でのエピソードなどいろいろなお話を伺いました。
●長さんは子どもの頃に返った気持ちで描いていたんでしょうね。
―― 長さんとの出会いを伺えますか?
最初に会ったのはね、漫画家を目指していた頃でした。当時銀座には「独立漫画派」(※)の事務所があったんですよ。そこで発行していた「がんま」という雑誌に載せてほしくてね。漫画を売り込みにいったんです。ぼくは武蔵野美術大学の2年生くらいだったんだけど、友達と2人で事務所に向かう階段を上がっていたら、長さんがひょこっと顔を出して、「おう!」って言ったんだ。 ※独立漫画派……1947年に小島功らが結成した漫画同人。関根義人、赤川童太、やなせたかし、井上洋介などが参加していた。
―― 長さんは多田さんのことをご存知だったんですか?
そのときすでに週刊漫画の表紙を描いていたから、名前は知っていてくれて、ニコニコして迎えてくれたんですよ。それで、次の号の「がんま」に載せるか分からないけれど、置いていきなさいというのね。言われたとおりに置いて帰ったら、ちゃーんと次の号に載せてくれたんですよ! 嬉しかったなぁ。
―― それからどんどん仲良くなっていったんですね。
独立漫画派の事務所に行って、顔を合わせたり、飲みに連れて行ってもらったりしているうちに、次第にね。ぼくがそろそろ絵本を描きたいなと思ったときには、長さんに相談したんですよ。自分で描いた絵本のダミーを持って、長さんの家に行ってね。長さんが『がんばれ さるの さらんくん』(作:中川正文 出版社:福音館書店)を出版した直後くらいのときだったと思うけれど、ぼくの持っていったダミーをとても丁寧に読んでくれて、優しくアドバイスをしてくれたのを覚えています。帰りは駅まで送ってくれたりして、優しい人なんだなって思ったんだ。
―― とても素敵なエピソードですね。
そのあと仲良くなった、太田大八さんと長さんの3人でよく飲むようになったんですよ。太田さんがぼくより20歳上で40代、長さんが30代、ぼくがまだ20代で、週に2、3回は新宿周辺で飲んでました。 飲みの席の面白いエピソードはいっぱいあるけれど、例えば、話が盛り上がって、急に「旅行に行こうよ」ってことになったことがあったのね。それでその晩は夜中の1時ごろに解散したんだけど、翌日、朝8時頃に太田さんがぼくの家の前に車を止めてまっているの。こっちはまさか昨日の今日で旅行に行くなんて思っていないから、ビックリ。 でも、車に乗って、長さんを迎えに行って、「じゃあ、伊豆にでも行きますか」って3人で出かけるの。伊豆に定宿があって、そこには年に5、6回は行っていたんじゃないかな。
―― 伊豆ではどんなことをして過ごしたんですか?
ぼくは釣りが好きだったから、昼間は釣りをして過ごして、長さんは何か別のことをしていたんじゃないかな。太田さんは仕事道具を持ってきて一週間ぐらい泊りがけで缶詰になっていたこともあったと思います。それで、一緒に昼ごはんを食べて、夜は下田に飲みに繰り出すの(笑)。そんな伊豆での旅行は結構続きましたね。ときどき、堀内誠一さんや司修さんが来たりして。 いつだったか、長さんが砂浜で大きな絵を描いたことがあってね。それは仕事で装丁を頼まれていた構想だったみたいなんだけど。しばらくして、そのときの砂絵と同じ構図の絵が表紙になった作品を見つけて、なるほどと感心しました。
―― 砂に絵の構想を描くなんて、スケールが大きいですね。多田さんは長さんの絵本のどんなところが好きでしたか?
ぼくは『がんばれ さるの さらんくん』や『おしゃべりな たまごやき』(作:寺村輝夫 出版社:福音館書店)を見て、長新太に憧れました。長さんの描く絵本の自由奔放なところや、彼だから思い浮かぶアイディア。誰の真似でもない絵のあたたかさ。きっと、長さんは自分が絵本の世界に入って、子どもの頃に返った気持ちで描いていたんでしょうね。長さんは長さんで、ぼくや太田さんのことを褒めてくれていて、太田さんに対しては「あれだけのものを描くなんてすごいよ!」って。 ぼくも絵本が出るたびに「ヒロシさんの絵がなかなか良いね」とハガキに感想を書いて送ってくれました。とても筆まめな人でしたね。 そうそう、長さんは寡黙だとか、真面目だというエピソードが多いけれど、実は結構やんちゃだったって知っていますか?
―― え、そうなんですか?
ぼくは穏やかな長さんの姿しか知らないけれど、若い頃はずいぶん暴れん坊だったらしいですよ。いたずらっ気はずっと残っていて、他の絵本作家の仲間達と絵本の会の巡回展をしたとき、旅行先で空き時間に観光なんかしていると、後ろから長さんが松ぼっくりを投げてくるんですよ。ビックリして振り返ると、馬場のぼるさんと2人で「へへへっ」て笑っている。伊豆に旅行に行ったときも釣りをしているぼくのそばで、海に向かって石を投げて邪魔をするの。そういういたずら癖はあったみたいだね。
―― そんなお茶目な一面もあったなんて、とてもほほえましいです。長さんと多田さんは、同じ「絵巻えほん」シリーズを作られていますよね。
この「絵巻えほん」の構成を、最初に提案したのはぼくなんです。 何がとびだすかわからない、びっくり箱のような水族館が開館します!エビバス・ダメタコ・パンツイカ…。形も名前も、泳ぐ(?)姿も、びっくりしちゃうような海の生き物が次々と登場します。入館の大勢の園児たちも、大騒ぎで見ています。ひょっとすると、海の中には、こんな魚もいるかもしれない…そんな想像をしながら、ナンセンスなユーモアのたっぷりきいた、不思議な海の世界を、体験してみませんか。
―― そうなんですか! 絵本のページが折りたたまれていて、伸ばしていくと2m以上のパノラマになるこのシリーズは迫力満点。すごく楽しいアイデアだと思いました。
この絵本の絵は、広げて描かなければいけないから、家では描けないんですよ。このときは、旅館の大きい部屋に缶詰になって描いたんだけど、こんな長い紙に絵を描いたことなんてないからすごく大変でした。長さんの『びっくり水族館』はメチャクチャな感じがいかにも長さんらしい。イカがパンツをはいていたり、タコがお客さんに向かって、墨をはいていたり……、子どもは喜ぶかもしれないけれど、こんなに自由に描いていいのかなって思ってました(笑)。
―― 長さんの絵本は、どの作品も子どもに人気がありますよね。
長さん自身も子ども好きでしたね。絵本の会の巡回展のときに各地でサイン会をやったんですけど、子どもがサインの列に並んでいると「かわいいね」って言うのね。ぼくの息子(※)も可愛がってくれて、よく直筆の絵とかサラサラ〜って描いてプレゼントしてくれました。 ※絵本作家のタダサトシさん
―― これはすごく貴重なイラストですね!
長さんは、子どもが何を考えているか分からなくて、突拍子もないことをやるところが特に魅力だったんじゃないかと思うんです。自分もそういうところに身を置きたいと思っていたのかもしれませんね。
―― そんな仲良しの長新太さんが亡くなって今年で10年になりますね……。
そうですね。長さんは病気になってからも、手紙でのやり取りは続けていてね。「ここが悪い」とか「ここを切った」とか、絵まで描いて教えてくれるんです。 最後に長さんと会ったのは入院していた病院でした。長さんの奥さんから連絡を受けて、太田さんと一緒に伺ったんです。そんなに長く話はできなかったんだけど、長さんが雑誌に載っていた寿司の写真を見ながら、「旨そうだね、食べられないのが悔しい」って言っていたのはよく覚えています。ぼくたちが帰るときにはベッドの上で手を振って送ってくれました。 それから5日後でしたね、長さんが亡くなったと連絡を受けたのは。
―― 最後に仲良しだった太田さんと多田さんにお会いできて、長さんもきっと嬉しかったでしょうね。
大人になってこれほど仲良くなれる人と出会うなんて、なかなかないですよね。ぼくも長さんも太田さんも、それぞれはきっとわがままなんだけど、なぜか馬が合ったんです。 3人いると、いつも太田さんが兄貴分で。でも威張っているわけじゃないからね。太田さんの自由奔放さに、みんなが引き寄せられている感じだったなぁ。 ―― 貴重なおはなしをたくさん伺えて、とても感動しました。今日は本当にありがとうございました。
今回お話を伺った、多田ヒロシさんの新作が秋ごろに発売を予定しています。 タイトルは『ねずみさんのくらべっこ』。「ねずみさん」シリーズの第3弾です。 ぜひ、お楽しみに! こぐま社から出版されている多田ヒロシさんの絵本こぐま社から出版されている長新太さんの絵本
1958年のデビューから2005年まで独自のナンセンス世界を生み出し続けてきた長新太さん。 長さんってどんなひと? 知りたい方はこちら>>
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