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【長新太没後10年記念連載】 担当編集者&絵本作家インタビュー2016/02/29
記念すべき第1回目は、福音館書店で長年編集をされていた関口展さん。 長さんとは『ごろごろにゃーん』をはじめ、数多くの作品を世に送り出した編集者さんです。関口さんの目から見た長さんはどんな絵本作家だったのでしょうか? 『ごろごろにゃーん』の誕生秘話。亡くなる10日前に描き上げたという『ころころにゃーん』についてのおはなしも伺いました。 ―― 関口さんはどのような経緯で、長さんとお仕事をするようになったのですか? ぼくが編集部に入った頃、文章も絵も長さんが作った絵本はまだなかったので、残念に思っていました。ならばと、思い切って連絡をしたのです。 ―― 長さんに連絡をしたときのことは覚えていますか。 もちろん、鮮明に覚えています。当時は、メールやFAXもなかったから、まずお手紙を出して、その後電話をしました。電話越しに「長さんですか?」ってたずねたら、「はーい、ちょーでーす」って間延びしたような声が聞こえてきて……変な人だなって思いました(笑)。 ―― 「ちょーでーす」って、可笑しいですね。長さんは文章も絵もご自身が担当することに対して、戸惑ったりしなかったのでしょうか? ほとんど躊躇なくという感じで引き受けていただきました。たぶん、いろんな文章に絵を描いている中で、ご自分でも自作絵本をやりたいと思っていたのではないでしょうか。それから数ヶ月して、ラフスケッチができたと連絡をいただいたので、見せてもらいにいきました。 ―― それが『ごろごろにゃーん』だったのですね。最初に見たときの印象はいかがでしたか? 見せてもらってすぐに、絶対出版したい! と思いましたね。ぼくがラフを見て直してほしいとお願いしたのはたった一点、犬が飛行機の尻尾を噛んだ場面で、次のページをめくったら犬がいなかったんですね。なので「この犬はどこに行ってしまったのでしょう?」って聞いたんです。そうしたら、「考えておきます」。次に見せてもらったときには、今のようになっていた。まだ世間知らずの編集者だったので、恐れずに言ってみたのがよかったのかもしれません(笑)。 ―― 当時としては、かなり斬新な構図、内容だったと思うのですが、周りの反応はいかがでしたか? 当時、「こどものとも」セクションは5人の編集者で月刊絵本(※)を作っていたのですが、印刷ができたときに、編集部内で「なんだこれは?」という声はけっこうありましたね。なにしろ、年長さん向けの絵本なのに、文字は「ごろごろにゃーん ごろごろにゃーんと、ひこうきは とんでいきます」しかないし、おはなしもとっても風変りでしたから。実際、出版した後に幼稚園、保育園の先生、親御さんから「何なんですか、この本は?」と、困惑とも怒りともつかないお電話をたくさんいただきました。 ※月刊絵本…毎月出版されるソフトカバータイプの絵本
―― そうなんですね。周りからいろいろ批判をされているときはどう思っていたのですか? 面白いから良いじゃないかと思っていました(笑)。他の人がなんと言おうと、担当者が面白いと思った本を出していきたいじゃないですか。長さんの作品はその最たるものでしたね。 ―― 特に思い入れの深い作品はありますか? やはり、遺作となった『ころころにゃーん』と、亡くなった後に出版された『プアー』、『わんわん にゃーにゃー』は自分の現役最後の作品にもなったので、特別な思い入れがありますね。 ―― 『ころころにゃーん』は、長さんが亡くなる10日前に描き上げた作品だと伺いました。 そうなんです。当時、長さんの体調がとても悪いことは知っていたのですが、ぼくもあと数年で退職することになっていたので、自分の最後の仕事と、思い切って連絡をしたんです。そうしたら「ぼくもちょうど描きたいと思っていたので、束見本(※)を送ってください」と言っていただいたんです。普通、そう言われたら送るのは1冊じゃないですか。でも、せっかくだからと福音館書店で出版している月刊絵本全5作の束見本をお送りました。 ※束見本…本のサイズやページ数を決めるために作る、何も書いていない状態の見本 ―― え?! 5冊もですか?
はい。そうしたら、5冊すべてにラフ画が描かれて戻ってきました。それが『ころころにゃーん』、『プアー』、『わんわん にゃーにゃー』、『ハンバーグーチョキパー』、そしてまだ世に出ていない『なりました』のラフスケッチでした。末期がんに侵されている本当に体調の悪い時期に、70歳を過ぎてあれほど力強くオリジナリティのある作品が描けるなんて……と深く感動したのを覚えています。 ―― そして、最期の作品が『ころころにゃーん』。親ネコと子ネコのやり取りがとてもあたたかい作品ですね。
この作品は、長さんの息子さんとお孫さんが一緒に寝ている姿を見て生まれた作品なんです。長さんとお孫さんはとっても仲良しだけど、「お父さん、お母さんにはかなわない…」と長さんが感じた思いが作品にはこめられています。
玉がころころ転がって、そこから顔が出てくると、猫になってにゃーんと鳴きました。……「ころころ」と「にゃーん」のくりかえし。シンプルでどこか可笑しく、それでいて温かみのある作品。ナンセンス絵本の天才・長新太氏の遺作です。 ―― 『ころころにゃーん』はすぐ出版することが決まったのですか? もちろん、5冊ともすぐに出したいと思ったのですが、福音館書店は幼稚園、保育園に毎月絵本をお届けする月刊絵本を作っているので、同じ作家さんの本を一度に年間のラインナップに入れることは難しいのです。なので、まずは『ころころにゃーん』を出版して、その後、他の作品も出版したいですと長さんにお願いをしました。それから約3ヶ月、2004年6月のはじめに『ころころにゃーん』の原画が編集部に届き、3日後に長さんから直筆のハガキをいただきました。そこには、「お世話になります。酸素吸入そのほかのチューブにつながれております。『年少版』は無理です。この先どうなるかわかりません。『ころころにゃーん』が最後になるでしょう。福音館にはじまり、福音館で終わりです。どうぞお元気で」と書かれていました。
―― すごく胸に迫まる内容ですね……。 本当に、手紙を受け取って編集部の人間に伝えたのですが、文面を読んでいるうちに泣いていました。 ―― 長さんが仕上げられなかった3作は、和田誠さんがラフスケッチを元に、色をつけデザインし、現在出版されていますね。
どの作品もすばらしかったので、何とかして形にしたいと思いました。和田誠さんのデザイン性、作家性、さらに長さんを尊敬されていることも伺っていたので、ぜひにとお願いしました。 ―― 関口さんは長年、長さんとお仕事をされている中で、いろいろな長さんの姿をご覧になっていると思います。普段の長さんはどんな方でしたか? 真面目な方でした。物静かで、絵本の締め切りは必ず守る。体はあまり丈夫ではなかったそうですが、旅行好きで、家族に行き先を告げず、フラッと旅に出ることも多かったそうです。お酒の席も大好きで、太田大八さんや馬場のぼるさん、多田ヒロシさんたちとよく飲み歩いていました。ぼくや知り合いの編集者も同席することがあるんだけど、仕事の話はほとんどしないで、白内障になった話とか、痔を患った話とかをして、ぼくたちをビックリさせるんです。そういう意味では、サービス精神もお持ちの人だったと思います。 ―― ご自身が担当した作品以外で、好きな作品はありますか? いっぱいあります。『ぼくのくれよん』、『地平線の見えるところ』。編集者ですから、好きな作品がよその出版社から出ると、「何で、ぼくに渡してくれなかったんだ」って悔しく思うこともありました(笑)。なかでも一番好きなのは、今は品切れになっているのですが『うみ』(岸田衿子/文、ひかりのくに)という作品。これは、長さんが先に絵を描いて、岸田衿子さんが後から文をつけるという、なかなか実験的な作品です。普通、文章家の人は説明的な文章をつけたがりますが、さすが岸田さん、無駄な文章が一切なく、本当に絵に沿ったいい言葉なんですよ。長さんの絵ものびのびして、すばらしいですし。品切れになっているのがとても残念ですね。 ―― ありがとうございました。
福音館書店 長新太さんの絵本
1958年のデビューから2005年まで独自のナンセンス世界を生み出し続けてきた長新太さん。 長さんってどんなひと? 知りたい方はこちら>>
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