これは、究極ですね〜。
一本のりんごの木が、友だちの男の子の望みに応じ、葉・実・枝・幹とすべてを与えるというお話です。
男の子は、特に感謝するでもなく受け取り、その後何年も木に会いに来ることはないのです。
そして、また困ったことがあると木のところにやってくる。
木は、それでもしあわせを感じている・・・。
この「与える」ことに犠牲の行為を見てはいけないのだそうです。
見返りを求めてはいけないのですね。
それはそれで分かるのですが、男の子がどこまでいってもしあわせそうでないのが、私は嫌でした。
自分への感謝ではなく、自分の行動によって変わる“なにか”すら求めてはいけないのですね。
それがたとえ、無駄に終わってしまっても、与えることが生命の充実なのだと。
凡人には、なかなか難しそうです。
これは究極ですが、「与える」とはどういうことなのかということを深く考える機会になりました。
この行為は、こどもの感受性にどう響くのでしょう。
この考え方が「正しい」ではなく、「色々な考え方がある」ことに気づくことに意義があると感じました。