明治の時代に、日本の産業は社会の貧困層の苦難に支えられていました。
身売りのようにして、繊維工場に働きに出なければならなった娘たちがいたから日本の富国強兵政策は推し進められたし、製糸工業の発展により貿易も栄えたのです。
表の世界は語られるけれど、裏側で発展を支えていた女工哀史。
事実に基づいたお話だけに、重苦しさを感じます。
わずかの金が親に渡され、言いくるめられた娘たちは、飛騨の村から野麦峠を越えて信州に向かいます。
その当時、女性の存在が軽んじられていたことを感じます。
信州に待っていたのは、人を人とも思わぬ地獄。
工場で病気になったミネは、疫病神のように扱われ、医者に診てもらうこともできずに寝ています。
連れ帰るように呼びつけられた兄に背負われ、峠を越えるところで、懐かしい飛騨の景色に涙して息絶えます。
残ったものは、働いて働いて働いて…。
年の瀬に一時の里帰りが許されるのが唯一の楽しみ。
それも、雪の中を隊列を組んで野麦峠を超えるときには、すべれば呑みこんでしまう谷を見下ろし、危険がいっぱいです。
私にとっても、明治はとても遠い、知らない昔の話です。
平成の人間にとっては、異次元社会なのでしょうか。
それでも、そのような暗い時代が、現代の根底にあることを忘れてはいけないと思うのです。
同時代のアメリカの奴隷制度については、数多くの絵本があって、人種差別問題は決して焦ることなく語られているのに、日本のこの時代の絵本が埋もれていくのが残念です。
身近な傷跡については、あまり触れたくないという、日本人気質なのでしょうか。