この気持ちはなんだろう。
わり算はわりきれる方が好きという小学生の「わたし」にとって、同じクラスのながみちくんはわりきれない男の子。ふまじめかと思えば、給食の時間、ともだちの苦手なおかずを食べてあげたり、教室の花びんにそっと花をかざったりしている。何を考えているのか、さっぱりわからない。わからないって、気持ちわるい。だから「わたし」は、ながみちくんを研究している。
「わたし」は放課後、ながみちくんのほうれん草みたいな色のランドセルを追いかける。ながみちくんはかさ立ての下に置いていた石をけりながら歩きはじめた。石をけっとばして、コロコロコロ‥‥‥と転がった先まで追いかける。そこからまた、石をけっとばして、コロコロコロ‥‥‥。
なんのためにやっているのか、さっぱりわからない。
「そんなところで何してんの?」
電柱のうしろにかくれていた「わたし」。見つかってしまった。
こうなったら、ひらきなおるしかない。
「しかたないでしょ。ながみちくんが、ちゃんとまっすぐ歩かないからだよ!」
「あ、もしかして」「おれをおいこしちゃいけないってルールなのか?」
「うん。そういうルール」
とっさにそういうルールがあることにしようと思った「わたし」に、ながみちくんは目をかがやかせていう。
「そっか。おれの今のルールはこれ」
あれ、すれ違っているようで、なんだか通じ合っている?
ながみちくんはその後も石をけってはなくし、何度も探す。
「わたし」はなんとなくついていって、そのうち石さがしを手伝ってあげることにする。
そんな時間を過ごしながら、ついに「わたし」は言ってしまう。
「‥‥‥そんなことして、何か意味があるの?」
いくら考えてもわからないながみちくんと「わたし」が過ごす、ちょっとだけ心が触れ合ったようなある日の帰り道。ほんのささいな出来事だけれど、見上げた空の美しさとともに、きっとこの時間が「わたし」の心にはずっと残り続けるのでしょう。もしかしたらながみちくんにも?
「わからない」からはじまる、そわそわするような嬉しいような、ちょっと浮き立つような気持ち。
第37回日産童話と絵本のグランプリ童話大賞を受賞されたという本書には、名づけることができないような、小学生の「わたし」の繊細でみずみずしい気持ちがぎゅっと詰まっています。画家の奥野哉子さんが描く、のびやかで余白のたっぷりある挿絵は「わたし」が感じているさまざまな感情を気持ちよく想像するのを助けてくれるよう。ながみちくんを見つめる「わたし」のまなざしがまぶしく伝わってきます。
(秋山朋恵 絵本ナビ編集部)
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