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2026.08.17

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川上未映子さんの新訳「ピーターラビット」シリーズ 動物に対する原作者の視点、リアルに <from好書好日>

世界中で愛されてきた『ピーターラビットのおはなし』シリーズ。その作者ビアトリクス・ポターは、2026年7月28日に生誕160周年を迎えました。同シリーズは、日本では石井桃子さんによる翻訳で長らく親しまれてきましたが、2022年3月に作家・詩人の川上未映子さんによる新訳の刊行が始まり大きな注目を集めました(24年に全23作完結)。いまも色褪せない「ピーターラビット」シリーズの言葉と物語の魅力とは? 朝日新聞社の本の情報サイト「好書好日」より、川上さんのインタビューを紹介します。(インタビュー:澤田聡子 写真:家老芳美)

川上未映子さん作品一覧

「にくのパイにされた」衝撃の挿絵も

——川上さんが“ピーター”と出合ったのは、いつごろだったのでしょうか。

代表的なおはなしは読んでいて、好きなキャラクターもいましたが、「子どもの頃から全巻がそろっていて、通しで読んでいました」という読者ではありませんでした。なので翻訳のご依頼があったときは、うれしい半面、驚きもありましたね。お話をいただいた後、家にあったシリーズと、あまり知られていない巻もあわせてオリジナル刊行順に通読し、英語の原作も読んでみたんです。そうしたら、やはり詩の部分に強く惹かれました。まだお引き受けするかどうか、お返事をさしあげるまえだったのに、「この詩は、韻みっつ、拾えそうやな」とか、あれこれ訳しはじめてしまっていました。

——新版は、従来のバージョンにはなかった挿し絵が復活したり、初版の色彩に近づけたりするなど、よりポターの原作に忠実なものとなっています。

これまでは装本の関係などで削除されていた数々の挿し絵が、新版では復活しています。たとえば、以前の『ピーターラビットのおはなし』だと、「にくのパイにされた」ピーターのおとうさん、というくだりの挿し絵は、子どもには衝撃的だろうということもあり、カットされていたんですよね。

この、マグレガーおばさんがパイを作っているシーンの絵じたいは知られていますが、日本では初めて絵本のなかに入りました。この絵があるのとないのでは全く印象が変わると思います。この一枚がとりわけ最初の物語に差し挟まれることで、おかしみがありながらも、人間と動物の関係、コミュニティーにおける原理的な理不尽さが底に流れている「ピーターラビット」の世界観が、ぐっと立ち上がってきます。

——人間側から見ると、畑を荒らすピーターはかわいいペットではなく、「害獣」ですよね。動物と人間のやり取りのシーンでは、まったく甘さがない、むしろ冷徹とも取れるような描写もあります。

害獣といわれると一瞬どきっとしますが、確かにそうなんですよね(笑)。英国児童文学で多くみられた「擬人化された動物ファンタジー」でありつつも、動物に対するリアリスティックな視点と描写があることが、「ピーターラビット」シリーズの魅力の一つだと思います。

翻訳の準備と並行して、作者のポターについての資料を読み進めていくうちに、動物たちとの接し方にも、彼女特有のものがあることに気づきました。19世紀後半に、英国の富裕な中産階級の子女として生まれたポターは、学校には一切行かせてもらえずに、家庭教師に教育を受け、抑圧的な両親からは周囲の子どもたちとの交流を禁じられていた。同世代の友人が一人もいない孤独な環境のなかで、動物との関係性を深めていったわけです。

年に数カ月、休暇を過ごすスコットランドでは犬や子牛、豚たちをかわいがり、その姿を絵に写し取る一方で、弟と一緒に皮をはいだ動物を鍋で煮て、残った骨組みをデッサンすることもあった。そうした徹底的ともいえるアプローチが、のちの「ピーターラビット」創作にも生かされています。挿し絵をじっくり見ていると、どれも本当につよいな、と感じますし、理科的な描写力に圧倒されます。デッサンはもちろん、とくに衣類の生地の細部と、描きわけられた毛の質感の表現は極まっています。23作全部を訳し終えたときには、わたし自身も、描写についての認識や、「動物と人間」のリレーションシップに対する考え方が変わるのではないか、という予感がありました。

「面白さ」を支える技術

——第1弾として刊行されたのは、『ピーターラビットのおはなし』のほか、『赤りすナトキンのおはなし』『グロスターの仕たて屋』の3作です。翻訳されるときに苦心されたのは、どんなところでしょう?

いちばん時間がかかり、かつ楽しいのは、物語に挿入される詩やわらべ歌などの「韻」の部分をどう日本語に訳していくかですね。たとえば、『赤りすナトキンのおはなし』。主人公は湖のそばの森に住む、りすのナトキンです。湖の真ん中にある島には、ふくろうのブラウンじいさまが住んでおり、仲間のりすたちはお土産を持参する代わりに、じいさまの許しを得て、島にある木の実を取らせてもらっているんですね。ところが、ナトキンだけはいつも手ぶらで、じいさまに対してなぞなぞを出して挑発する……。英国らしい皮肉と風刺に満ちた物語です。

「労働者階級のりすVS.地主のふくろう」という構図は普遍性かつ、今日性がありますよね。たとえば、荷物を抱えたりすたちの体格描写の鋭さ、容赦のなさ。日々の労働によって発達していく肩から背中にかけての筋肉の質感、毛のばさついた感じなど、ほんとうに徹底しています。そうした圧倒的な描写に息をのみながら、きれいに韻を踏んだなぞなぞの部分、詩的な部分を読むと、ポターの手数の多さ、完璧を目指す志の高さが、ほとんど恐ろしくなるくらいです。

でも、それ以上に、ポターは面白い。笑えるんです。生活のなかで、ふざけること、茶化すこと、笑えることの重要さに貫かれていて、誰が主人公の本でも、「このテンションはやばいやろ」とか「この返しはすごいやろ」とか、ほんとに笑ってしまうんです。たとえばナトキンであれば、ブラウンじいさまを煽るやりかたとか、そしてその後をふくめて、あれはもう、うちの9歳の子どもが見ているゲーム実況のバトルの顛末そのものですよ。もう、何周もまわっていつの時代のなにを読んでるのか意味がわからない(笑)。そんなふうに、いろんな角度から味わうやりとりとか、キャラクターとか、物語そのものがとにかく面白くて、そして素晴らしい技術がその世界を支えている――その雰囲気が伝わったらいいなと思っています。

——新訳ではルビ付きの漢字も増え、より幅広い年代が読みやすくなっているように感じます。

今回の訳では、あえて漢字にしたところも割とあります。でも、「全ページを通してこの漢字に統一」ということではなくて、絵本を開いたときに見える漢字とひらがなのバランスを優先しています。

今までよりも漢字を使おうと思ったのは、この絵本が小さな子どもたちに「表意文字としての漢字」に出あうきっかけとなったらいいな、という気持ちもありました。たとえば、「森」という漢字は「木」がたくさん生えていることを表しているから森なんだな、と目で感じることができる。「青」や「胸」など、子どもたちがビジュアルとしてもその意味を受け止められるかなと思ったものは、漢字で表しています。

ほかにも心がけているのは、原作が書かれた時代のリアリティーを損なわないことを前提にした、現代の感覚にあう言葉選びです。たとえば『ピーターラビットのおはなし』で登場する“Mr. McGregor”は「マグレガーおじさん」、これまで「マグレガーさんのおくさん」と訳されてきた“Mrs. McGregor”は「マグレガーおばさん」にしました。

ポターの思考の流れを感じてほしい

——新しい「ピーターラビット」シリーズを、読者にどのように楽しんでもらいたいですか?

今回の新訳の大きな特色の一つは、イギリスのオリジナル版にあわせた作品番号がついていることです。第1回の配本となる『ピーターラビットのおはなし』『赤りすナトキンのおはなし』そして『グロスターの仕たて屋』も、ポターが発表したのと同じこの順番で、読者にご紹介できることを、とてもうれしく思っています。

全23作を通して読めば、1人のエクストリームな作家が、どういう思考の流れで、このシリーズを書き進めていったのか。そうした「作家の必然性」みたいなものも、大人の読者には感じてもらえるんじゃないでしょうか。もちろん、本は本だけで成立するものですから、好きなときに好きなところだけ読むのもいいですよね。絵を眺めるだけでも楽しめます。子どもから大人まで、読み手によって多様な読み方ができる、名作ならではの“懐の深さ”を味わってもらえれば、とてもうれしいです。

「好書好日」で読む

「早川書房 ピーターラビット™」シリーズは、全23巻。はじめの10巻以降は、シリーズのリンクからご確認ください。

「早川書房 ピーターラビット™」シリーズ

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