汽車に乗っておじいちゃんの家に向かう、リッキーとアンの兄妹。 ところが汽車は、突然の急ブレーキ。なんと、橋が壊れていたのです。 乗客は途中にある町に泊まり、橋が直るのを待つことに。 そうしてリッキーとアンが降り立ったのが…
「さかさ町」
さかさ町ではなにもかもがあべこべ! 子どもが働きお年寄りが遊び、建物は屋根を下にして建ち並び、もちろん文字も上下逆に書いてあります。 リッキーとアンはさかさ町にあるいろいろな場所を巡りますが、そのどれにも、ふつうとはぜんぜん違うあべこべな部分があるのです。
「いったい今度はなにがあべこべなのだろう?」とわくわくしながら読み進めていけば、「なるほどやっぱり!」と笑わせられることもあり、「ええ!そこが逆なの!?」と驚かされることもあり― 懐中電灯ならぬ「懐中消灯」や、後ろにハンドルがついている車など、奇想天外な「あべこべ道具」。 学校や病院における、さかさ町ならではの独特な仕組み。 それらを知ると、物語の中では描かれていないさかさ町の広がりが想像されて、とても楽しくなります。
しかし、ゆかいな町での冒険と並んで、この物語における大きなみどころのひとつは、大人の目から見たさかさ町の姿です。 さかさ町の経済や福祉医療、教育のあり方は、私たちの社会のそれとは大きく異なるものですが、しかしそこにはただの奇抜なファンタジーとして片づけることのできない説得力があるのです。
たとえばさかさ町では、ものを覚えるためにあるはずの学校で、「忘れるための技術」の授業があります。 「もし、わたしたちが、人からされたいやなことをわすれることができたら、世のなかの口げんかや争いがいかにすくなくなるか」 とは先生の言葉。そして彼はこう続けるのです。 「わすれるということは気づきだ」と。
子どもにはわくわくを、大人には気づきをくれるさかさ町。 さあ、リッキー、アンといっしょに、世にも奇妙な町を冒険してみませんか?
(堀井拓馬 小説家)
リッキーとアンは、汽車でおじいちゃんの家へむかっている途中、事故のため、知らない町で一泊することになりました。
町の名前は〈さかさ町〉。そう、そこではすべてが、ふつうや常識とはさかさまなのです。看板の文字も上下さかさま、建物もひっくりかえって建っています。お店にいけば、なんと値段分のお金つきで商品をくれます。はじめは驚いてばかりの兄妹も、病院、野球場、学校などをめぐるうちに、この町が好きになっていきます。
スロボドキンの飄々とした絵がぴったりの、たのしい物語。
おもしろいアイディアがたくさんつまっているだけでなく、はっとさせられる場面も。頭をやわらかくしてくれる1冊です。
既成観念にとらわれない考え方。
9歳の息子と読みました。
なんでもかんでもあべこべのさかさ。
こんな奇妙キテレツな町で一泊することになってしまった
兄妹のお話です。
子供が働いたり、
野球のルールが全く反対だったり、
忘れる授業があったりと、
なんでもかんでもさかさの町。
最初はびっくり、読んでいくうちに登場人物の兄妹と共に
どんどんさかさ町に慣れていく私たち親子でしたが、
なんだか最後はちょっと考えさせられました。
さかさ町でのお買い物は、モノを買った人が、
お金ももらえるのです。
モノを作る人がお金を払い、モノを買う人がお金をもらい、
何もモノを作らず社会に貢献してない人は警察につかまる。
なんだか逆転の発想。
でも、もし本当に世の中がこうだったら・・・
なぁんて一生懸命考えてしまいました。
もしかしたら、今の世の中よりもそっちの方が悪いなんて、
言い切れない気もしてきます。
そう考えると、「モノを買う=お金を払う」だけではなくて、、
何事も既成観念にとらわれず、
逆転の発想で考えてみるのもアリなんじゃないか、と
オトナの固い頭ながらも考えてしまいました。
息子はただゲラゲラ笑っているだけでしたが、
私にはマジメに問いかけられているような感じがした一冊でした。 (ムスカンさん 30代・ママ 男の子9歳、女の子4歳)
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