かわいいこぶた「プータン」のしかけ絵本シリーズに、いま2代目読者が増えています。
さまざまなタイプのしかけ絵本が次々登場するなか、1980年代のシリーズ誕生以来読みつがれ、親しまれつづけてきたプータンの魅力とは何でしょう。シリーズ全作品の制作にかかわってきたJULA出版局の大村祐子さんにお話をうかがいました。
───じつは、子どものときプータンが大好きだったという30代スタッフから、2冊借りてきました!
彼女は小さい頃お姉さんと読んでいて、いまは5歳と3歳の娘さんたちが読んでいるんですって。購入して約25年、ダイヤル部分もそうとう使いこんだそうですが「ぜんぜんこわれないの!」と(笑)。くるっと回すとツーッときれいにもどりますよね。すごく丈夫・・・!
このシリーズ、最初に出版されたのはいつ頃ですか?
1983年です。もう30年以上前ですね。当時はまだしかけ絵本は珍しかったのです。海外のしかけ絵本を翻訳したものはあったけど、日本でちゃんとお話としかけとがオリジナルに制作された絵本は「プータン」が最初のほうかもしれませんね。
読者ハガキで「子どもの頃大好きでした」「自分の子ともう一度いっしょに読みます」と言葉をいただけるのはうれしいです。かつては小さな読者だった方々が、いまは立派なお母さん・お父さんになられていたり、若い親御さんだった方がいまはおじいちゃま・おばあちゃまになられて「なつかしい」「子どものお気に入りだった」って・・・。思い出がよみがえるみたいですね。そしてお子さんに、お孫さんに、と買ってくださる。幸せなことだなと思います。
───プータンは、この電話がついた絵本『もしもし…プータンです』が第1作目ですよね。
なつかしいダイヤル式でしょう?(笑) これは発売時からうれしい悲鳴をあげるくらい注文が殺到したんです。
はじめはダイヤル部分をプラスティックとバネと紙で手づくりしていましたが、あまりに注文がくるので数ヶ月後には100万円以上の投資をして、おもちゃやさんに金型制作をお願いしました。型ができる前は、私とアルバイトの女の子二人で、一晩に500冊分を組み立てて検品したこともあったんですよ。血豆ができました(笑)。
───何かとくべつなことがあったのですか。テレビや新聞に紹介されたとか。
いいえ。何もなかったのに、それだけ反応があったんです。店頭で子どもたちに受け入れられたのですね。
『もしもし…プータンです』はね、きょうがプータンの誕生日なんだけど、ケーキにつかういちごジャムをプータンがぜんぶなめちゃった! それでお母さんは困って、「いちごジャムないかしら?」ってお電話するんです。お友だちはみんな「ない」っていうんですけど、さいごにかわりのものをそれぞれもってきてくれて、すごく豪華なケーキができる!というお話ですね。
子どもがダイヤルを回してあげると、次々プータンのお友だちのおうちへ電話がかかって、お話がすすんでいくしかけです。
───子どもたちはやんちゃなプータンになりきるのと、あちこち電話をかけるのが楽しくてしかたないんですよね(笑)。
しかけ部分はもちろんですが、「プータン」はとにかくお話がかわいいです。そして、ふわっとユーモアに包まれた絵も魅力的。
こぶたがよかったのかもしれませんね。絵本ができたばかりのころ、読んだ子が「これからぼくのことプータンってよんでね」と言ったんですよ。そのとき、あ、これは小さな子たちのお友だちになれそうだなとうれしく思いました。
「プータン」はね、最初に出てきたのが表紙の絵だったの。電話をしているところ。奈良坂智子さんのスケッチからこぶたが生まれたとき「これはいいね」と喜びました。最初の案は、じつはうさぎだったんですよ。でもそれはボツになって・・・そのあとプータンが出てきたの。
いま電話といえば半分以上がスマートフォンでしょう。ですから出版当時の勢いはないんですけど、不思議と子どもたちはおもしろがってくれるみたいね(笑)。
───シリーズは現在9冊発売中ですが、大村さんは1冊目から編集者でいらっしゃったのですか。
ええ。編集者である私と、当時、出版局長だった和田義臣さんと、イラストレーターの奈良坂智子さんと、3人で話し合いながらつくりはじめました。数人で知恵を出し合いながら意見をぶつけあって絵本をつくっていくのは、70年代から80年代にかけて、あたらしい日本オリジナルの創作絵本をつくっていこうという、時代の意識のなかで生まれたつくりかたです。
和田義臣さんは、若山憲さん・森比左志さんと共にこぐまちゃんえほんシリーズをつくった方。こぐま社の立ち上げに力を尽くした一人でもあります。そういう意味では“こぐま仕込み”といえるかもしれませんね。
私自身はJULA出版局に参加する前、大日本絵画で働いていました。そのころはちょうど子育ての真っ最中。大日本絵画時代に編集したしかけ絵本は、海外の翻訳物が中心で、日本のオリジナルのものはまだなかったんですね。幼い息子と海外のしかけ絵本を毎晩楽しみながら、一方で、日本の子どもの日常によりそった、日本オリジナルのお話としかけがついた創作絵本をつくりたいという気持ちがつよくありました。その熱意が、こぐまちゃんシリーズにかかわられたあとの和田さんと、私とのあいだに共通したものとしてあって、JULA出版局のプータン・シリーズ立ち上げにつながっていったと思います。
───では本当に3人で一緒になったところから、プータンは誕生したのですね。
そうですね。こんなお話はどうかしらと私が提案したりして、プータンはなんて言うだろうと3人で話し合う。奈良坂さんがじゃあこんなのはどう、と絵を描いてくださったり、和田さんが「それじゃあおもしろくない」なんて言ったりしてね。ですからプータンのセリフも、自然に話し合いの場で、出てくるセリフがそのままお話になっているんですよ。