『ゴリララくんのコックさん』発売記念!
ユーモア絵本のすすめ
とにかく笑える絵本、面白い絵本をと、たくさんの「ユーモア絵本」を生み出されてきたのが出版社絵本館さん。
大人になった自分は「笑っている方が楽しいに決まっている」って事を知っているのに、子どもが絵本を読みながら笑ってばかりいると不安になる・・・なんて、考えてみれば不公平な話ですよね。
絵本館さんが今オススメしたい!という作品がきむらよしおさんの最新刊『ゴリララくんのコックさん』。もちろん思いっきり笑える絵本です。
この特集記事では、きむらよしおさんの作品の魅力とともに「なぜユーモア絵本なのか」というテーマまで含めて絵本館編集長有川裕俊さんの言葉をお借りしてご紹介したいと思います。
きっと子ども達と一緒に「面白い」絵本をもっともっと読みたくなるに違いありません。
■ この面白さ、ただものではありません。
きむらよしおさんの最新作がこちら!
『ゴリララくんのコックさん』
きむらよしお・作 絵本館刊
※内容詳細、みどころはこちらからどうぞ>>>
★作者のきむらよしおさんにコメントを頂きました!
きむらよしおさん
『ゴリララくんのコックさん』へのひとこと
アナは空間だけではアナになりません。
アナというものは何もない中空を囲っているカベを含めていうのでしょうが、その囲われた空間は何もなくはなくて「何もない」があるともいえます。
ちくわやパスタ類を食べるときは、その「何もない」、つまりアナも一緒に食べています。でも、アナを食べているという感覚はありません。本当はアナも食べているのですが、カベだけを食べていると思っています。
★更に絵本ナビ読者の方へ向けて直筆メッセージも描いてくださいました!
★絵本館編集長有川さんがその魅力について語ってくれました。
知ってるかな、車のハンドルにはクリアランスというものがある。止まっている車のハンドルを持つと少し動く。つまりハンドルにはゆとりというか余裕がある。
一般的には「ハンドルのあそび」といっている。そのあそびの機能がないと事故になる。ハンドルにあそびがあるから車は真直ぐ走る。遊園地のゴーカートのような車が街を走ったら大変。事故だらけ。あそびは車にとってなくてはならないものだ。
人間の精神も車と同じであそびがないと大変。なにより生活がギスギスするし、つまらない。人間らしく暮していくためにも心にあそびがないと、他人とすぐぶつかってしまう。トラブルだらけ。
気むずかしくて、ギスギスした仏頂面の家庭、会社。
考えただけでもぞっとする。
それにひきかえ、あそびやユーモアが、子どもというか人の一生にどれほど資するか、はかりしれないものがある。
平安時代『梁塵秘抄』の昔から「遊びをせんとや生れけむ」と日本では言ってきた。もうすこし日本人も伝統を重んじたほうがいいのではないか。
俳画というものがある。芭蕉も画いたそうですが、代表者、完成者は与謝蕪村。
『ほろにがい人生の悲しみ、心のそこからわきでる感情、それをおもてだっては表現しない日本人の感性、その境地を蕪村は俳画の世界で表現するようになった。
その俳画に「ベタづけ」と「匂いづけ」という言葉がある。
蕪村以前の俳画は、絵と句のつながり方が直接的だった。そういうベタづけをきらって、蕪村は匂いづけという絵と句をはなしてそこをやわらかく連想でつなげるようにしている。蕪村の俳画は絵と句が響きあうそういうやわらかい構造になっている。
見る人が読みとるたのしさ。見る人が参加していく参加型のジャンル。省略のきいた絵で句の意味とつかずはなれずあらわされている。』
この俳画についての長い引用は学習院大学小林忠先生の言葉です。
これはまさに絵本にたいする言葉でもあります。
今の絵本はほとんどが「ベタづけ」。子どもはわからないことが多い。だから説明してあげねばと思う。そんなおせっかいな、というか野暮な大人がつくった絵本が多い。なにごとも絵解き、説明だからおもしろいわけがない。見る人に読みとるたのしさがない。
「匂いづけ」絵本では「おもしろい」が第一。まず子どもが感覚的、直感的におもしろいと感じなければ想像力も湧いてこない。そのためには、なにより作家が絵本を創ること自体、おもしろくなければ、はなしにならない。
きむらよしおさんは、この「匂いづけ」絵本を創れる稀な絵本作家。『ゴリララくんのコックさん』という絵本には、きむらよしお的なあそびがちりばめられている。
その広大なあそびのフィールドのかなたにちくわの穴とちくわという虚と実が交錯している。『ゴリララくんのコックさん』に続く『ゴリララくんのしちょうさん』、『ゴリララくんのおぼうさん』は、更に「虚と実」「匂いづけ」が色濃く躍動している。
こんな絵本は今までなかった。
シリーズとは別の『はしれ、はしれ』という絵本に至っては「疾走する虚空」と言いたくなるほどの世界が描かれている。あるいは「静と動」それとも「虚空のなかの哀愁」かな。
しかしすべてのベースにあるのが愛嬌。そこにきむらよしお絵本の魅力がある。
ほんとうにすばらしい。絵本もここまできたか、という気持になれてうれしい。
こうした絵本を多くの子どもたちが楽しんでくれると、ことのほかではあるのだが。
最後にぼくのすきな蕪村の句を一つ。
「學問は 尻からぬける ほたるかな」
★きむらよしおさんの人気作品
■ 「ユーモア絵本」のすすめ
冒頭でも述べた通り、絵本館の絵本はどの作品もとにかく面白い。笑える。
そしてのびのびしているのです。
これは「こだわり」なのか、「偶然」なのか。
ユーモアを愛する絵本館編集長の有川さんにちょっとお話を伺ってみました。
心ひかれる。すきな言葉です。なにごともおもしろいから、
あるいは気になるから心ひかれる。
絵本選びも心ひかれるが基本です。
読書にとって、おもしろいが子どもも大人も大前提です。
ところが現実はおもしろいだけでは不安になってしまう大人が多い。大人たちは「人間、おもしろいだけでやっていける訳がない。へたをすると人間としてふぬけになったり、ふざけた人間になりかねない」と考えているのではないか。
反対に役に立つとか、ためになるとかそんなことなど考えずに、ただただおもしろいので夢中になって本を読む。
すると言葉に対するセンスとか、考え方にはいろいろな道筋があることとか、人とコミュニケートする能力とか、気持を明るくさせる方法とか、知らず知らず身につく。気づいたら役立っていたり、ためになっていた。
これがいい。
読書とは本来そういうものです。そうおもいませんか。
人間そういった経験を何度かするうちに、あるものが身についたりする。それを教養といいます。
なにごとも夢中になってやっていると、力も自然とつく。
おもしろいをマイナスに考えるのはやめましょう。
子どもが自ら考え行動する癖を身につけるか、つけないか。
これはその子の人生にとって重要なことです。
そのためには大人が心しなければならないことがある。子どもがなにか夢中になっているとき、大人はそのじゃまをしないことです。
絵本にかぎらず、ついつい大人はなにごとも教育的な見方で子どもをみてしまいがちです。考えて考えてなにが子どもに役立つだろうかとおもってしまう。
しかし、おもしろくなければなにごとも長続きしません。本もおもしろくなければ次を読む気がおこらない。読書にかぎらず、子どもにとっておもしろいがすべての行動の原動力・エネルギー源なのです。
どんなに高い車でもガソリンがなければ走りません。あたりまえです。同じく、どんなに世評高い良い絵本を与えても、子どもにおもしろいという気持ちが生まれなければ読書の習慣は身につかない。
すべてはおもしろいがスタート。
そんな笑える絵本、ユーモラスな絵本を子どもと一緒に
みなさんたのしんでください。
そのためには、まず大人のあなたがおもしろい、ユーモ
ラスだと思った絵本を読んであげることです。
くれぐれも大人のあなたがおもしろいとおもった絵本です。
子どもの年齢とか理解力を気にしてはいけません。
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それでは皆さん、思いっきり笑ってくださいね。