●いつかは飛び立っていく子どもたち
───一方、『ホーキのララ』の絵は、若手の作家さんですね。
絵を貴納大輔さんにお願いしようというのは僕が決めました。編集者の手元にあったファイルの中から、この方がいいんじゃないかなと何となくひらめいて、お願いすることにしました。
「こうしてサラはホーキのララにまたがって、自由に空を飛べるようになったのです。(中略)お花畑の上で宙返りをしたり、池のカエルをおどろかせたり、葉の落ちた木と木のあいだをすり抜けたり、雪の上に絵を描いたりするだけでとても楽しかったからです」
このページのように春夏秋冬の風景を描いてほしいというのは僕が指定したんですが、夏のところでサラがカエルをおどろかしている絵を僕は大好きになりました。このカエル、かわいいなあ・・・と(しみじみ)。かわいいでしょう(笑)。
そういえば『ホーキのララ』の女の子サラも、もう少し髪が長いイメージだったんです。でもこれも絵ができあがってみるとショートヘアの女の子がとてもかわいい。ホーキに乗ろうとして落っこちるところも、鼻をなでるしぐさも、ショートヘアの子によく似合って愛らしいなあと思いました。
ホーキにはいつのまにか赤いリボンがついていて「ララ」らしくなっている。絵の力はすごいですね。
───「飛ぶならお飛び、飛ばなくてもお飛び」という呪文ではぜんぜん飛ばなくて、「飛びたくないなら飛ばなくてもいいの。飛びたくなったら飛んでみて」で少し飛ぶ。
サラが落っこちたり呪文を変えたり、悪戦苦闘する様子はかわいらしいですよね。
魔法のお話で、ファンタジー。だけど全体的にはとても現実的なところもある。
絵本全体に描かれていることで言えば、“飛び立っていくべき時期がいつなのか。もうそのときなのに、飛び立つ時期だとまだわかっていない子”も現実にいるだろうと思うんです。
子どもがいつのまにか徐々に大きくなっていって、気づくと大人になっているというのは実際よくあることですけれど、絵本ほどそれを劇的に、ドラマチックに表現できるものはないんじゃないでしょうか。
実は、成人した娘に『ホーキのララ』を見せたとき、主人公のサラがお父さんとお母さんに手をふって飛んでいってしまう箇所を、子どもたちは怖がるんじゃないかと言われたんです。エンディングが悲しくて読みたがらないんじゃないかと・・・。どう思われますか。
───[絵本ナビライター]:私は、5歳の娘と夜寝る前に読みましたが、大人の私のほうが結末に胸をつかれて言葉が出ないでいると、娘は「おもしろかった〜」と明るく言うんです。「どこがおもしろかったの?」と聞くと「サラが、ホーキのララとおしゃべりしながら飛ぶ練習をするところと、お父さんとお母さんに『わたしこれから空を飛ぶわ』と言って空を飛んで、お父さんとお母さんを空の上から見ているところ」と言いました。
「・・・お母さんたちとお別れしちゃうの、こわくなかった?」と聞くと「こわくない。○○○(娘の名前)はまだ5歳で小さいから、パパとママがいないと泣いちゃうから、パパとママがいるところに住むけど、大きくなったらそんなことないかもしれない」と。
内心驚いて、子どもの爽やかな冒険心に触れたような気持ちがしました。
そうですか! はじめての読者の声を聞いたみたいな気がして、すごく幸せな気分です。もちろんいろんなお子さんがいらっしゃると思うんですけどね。うれしいですね。
───子どもを見送ってはじめて、いつのまにか子どもが大人になっていることを知る・・・親の立場で読めば、はっとさせられますよね。私は『ホーキのララ』を読んで、なんてきれいな空なんだろう、どこまでもいってしまえそうな解放感なんだろう、小学生の頃にこの絵本に出会いたかった!と思いました。
●絵と出会う幸せ
───ご自身が書いた文章に絵が描かれ、絵本になるのは、どんな気分でいらっしゃいますか。
全体の構成を立てて文章を書きますが、わずかな行数では「世界」はそう出現しない。絵本は、絵がなければ成立しない世界ですよね。ここにどんな絵がくるんだろうと毎回とても楽しみです。
絵に出会うという経験を最初にさせてもらったのが『わるいことがしたい!』です。
僕はノンフィクションをすべて文字で表現してきました。紀行文を書くときでさえも、スナップ写真一枚、図版一枚入れたことがない(近刊『キャパの十字架』中、検証のための写真や図版は例外として)。
文章を書き、そこに絵が入る。それは、今までとぜんぜん違います。絵によって文字の世界がさらに深まり、広がっていく新鮮さを味わっています。
たとえば『わるいことがしたい!』の原作にねこはいなかったんです。ミスミヨシコさんが絵を描くときにねこを登場させてくれた。いつでもどこでも、主人公の男の子がすることを、ねこが見ている。
最後のページでは、男の子が何かわるいことをしてやろう、とお母さんの様子を背後からうかがっています。お母さんが持つ花瓶が危ない感じがするんですが、その男の子の様子をさらにテーブルの下からねこがうかがっている(笑)。
───制作中、ミスミさんとはどのようにやりとりされたんですか。
『わるいことがしたい!』では文章に加えて「ティッシュペーパー」「スパゲッティ」などの場面指定までして、あとはミスミさんにおまかせしました。
途中で、ティッシュペーパーだと元にもどすのが大変だからトイレットペーパーにしようとか・・・、トイレットペーパーは巻き戻せますから(笑)やりとりの中で修正したところもあります。
男の子が「もっともっとわるいことがしたい!」とやりたい放題する内容に、顔をしかめる親御さんがいらっしゃるかもしれない、お母さんが読みたがらないかもしれない、などの意見は出版前にありました(笑)。
でも出版後、ある知人に、『わるいことがしたい!』では生き物にたいする「わるいこと」はしていないですね、と指摘を受けました。
当たり前ですが男の子の「わるいこと」はねこへは向かっていかない。物に「わるいこと」をしたあとは、生き物に向かうことなく、ねじれた衝動に向かうことなく、自然に「わるいこと」から卒業していくだろうという予感がします。
───男子の母としては、「もっとわるいことがしたい」「もっともっとわるいことがしたい」・・・その「わるいこと」がこれ!? かわいいなあ、と、逆に思ってしまうんですけど(笑)。ちゃんと元に戻しますし。
みなさんのこれからの反応が楽しみですね。もしかしたら、子どもと共犯の顔をして、お父さんが喜んで読む絵本になるかもしれません(笑)。