
目の不自由なわたしは、道で倒れ階段から転がり、傷のない日はありません。そんな時、白いつえ「ケイン」に出会い、どこへでも行けるようになりました。ところが、じろじろ見る目、ひそひそ話す声――つえを持って歩くことがこんなにはずかしいなんて。わたしはわたしに同情し、本当は自分のことをはじていたのです――。

ケインが白杖のことであると解ったとき、色々なことを考えました。
視覚障害の人は必ずしも全盲ではないことと、何らかの理由で視覚を失ってしまった人たちがいることです。
パラリンピックでは、伴走者なしで走る人たちを目にしました。限られた視界の中で競う人たちです。
でも、日常生活で白杖は重要なサポートをしてくれています。人に、自分が視覚障害であることを理解してもらうこと、不測の状況を未然に防ぐこと。この絵本の主人公のようです。
もう一つは中途失明と言うことです。生まれつき目が見えなかったわけではなく、事故や病気で視界を失った人は、目が見えていた日々があるだけに、目が見えない自分を受け容れる苦しさと直面します。恥ずかしさや苛立ちを抱えてしまうのも、この絵本の主人公のようです。
この絵本は、主人公が自分を受け容れること、白杖をパートナーとすることで完結してはいません。
そういう人たちが世間にはいるのだということを、読者に伝えているのです。弱視の人がそばにいたら、中途失明の人がそばにいたら、私たちは何をしたら良いでしょう。
「ケイン、きょうもよろしくね!」という言葉は、絵本を開いた人に発信されています。 (ヒラP21さん 60代・その他の方 )
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