マルクスへの道を泥臭く歩み続けた壮絶な生涯をひも解く。
櫛田民蔵(一八八五ー一九三四)は、日本におけるマルクス経済学の開拓者である。その史的唯物論の探究は河上肇を瞠目させ、大内兵衛をして業績を後世に伝えさせた。
ブルジョア経済学との論争の火ぶたを切ったのは民蔵である。小泉信三など最先端の面々を、ほとんど一人で相手取って価値論争を展開した。戦線は河上肇の「価値人類犠牲説批判」から、地代・小作料をめぐって野呂栄太郎らへと拡大した。
櫛田民蔵が人々を惹きつけてやまないのは、マルクスへの道を泥臭く歩み続けたその人生である。一向に洗練されず、おもねらず、いわき地方の濃厚な土の匂いを感じさせ、マルクスと格闘した男の壮絶な最期を、長谷川如是閑は「学徒としての殉職」と称した。
続きを読む