こんなに濃密で知的刺激に充ちた
「国語の授業」があったのだ
国語の力とは書く力のことである。
日本語という文字を言葉として記すことのできる力である。
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国語の科学的ハウ・トゥとは、あらゆるジャンルの文章のパーツを整理、分類しつつ読み、一冊の本の章や節を構造的に読むことによって、世界を言葉で理解することとなる。ここに、国語が一教科であること、つまり学校という制度空間で教師と生徒によって行われる共同パフォーマンスであるという視点が接合される。したがって、各々が理解したことを書いて表現することが必須となるのである。試験をこのように位置づける視点はユニークであり、またこの学校論は、学校制度に向けた根本的な問題提起と読むことができる。(全文はこちら)
中山智香子(東京外国語大学・教授)
読みとは作業であり、作業とは〈方法〉として可約なものである――授業の衝撃を経て、十五歳の日々にかく「読み」に自覚的たり得たことはいま、社会人としての私自身の方法論の基礎となっている。
松田晃(NTTデータ・システム運用)
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