谷口智則さん最新刊 全然違う「きみ」と「ぼく」の物語
絵本紹介
2022.05.24
出版社からの内容紹介
死をめぐる絵本「闇は光の母」シリーズ、谷川俊太郎さんによる推薦文
死を重々しく考えたくない、かと言って軽々しく考えたくもない、というのが私の立場です。死をめぐる哲学的な言葉、死をめぐる宗教的な言葉、果ては死をめぐる商業的な言葉までが氾濫している現代日本の中で、死をめぐる文と絵による絵本はどんな形でなら成立するのか、この野心的な企画はそれ自体で、より深く 死を見つめることで、より良く生きる道を探る試みです。
谷川俊太郎
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編集部より
この絵本を読んで、自分のなかに「ぼく」のような気持ちがある、とかんじる人はいるでしょうか。
まず最初に、このようにつたえさせてください。
「死なないでください」
あなたのかかえている思いは、きっと、だれにも理解し、共有することのできない、自分にしかわからないものでしょう。でも、もしかしたら、だれかに「自分はこうかんじているんだ」と話すだけで、すこし気持ちがかわるかもしれません。とはいえ、それはとてもむずかしいことです。
したしければしたしいほど、自分の孤独や絶望をうちあけることにためらいをおぼえるかもしれませんし、そもそも、聞いてほしい人なんてまわりにはいないかもしれません。
まわりのだれにも話せないというときに、たとえば、国や各自治体が設置している相談窓口を利用するという選択肢もあります。 24時間子どもSOSダイヤルや、全国いのちの電話、18歳までの子どものための相談先「チャイルドライン®」など、さまざまな窓口が用意されています。
電話をしたり、メールを送るのは勇気がいることですが、だれにも話せないあなたの思いを、気持ちをつたえてみてください。
この絵本は「ぼく」が周囲に語らなかった声、気持ちを、わからないながらも、聞こうとし、知ろうとする、「ぼく」のことを考える絵本です。
友だちとの時間や麦茶のつめたさ、おにぎりのおいしさに思いをはせる「ぼく」は、きっと生きたかったはずです。「ぼく」がなぜこのような選択をしてしまったのか。どうしたら、生きることができたのか。それを考えることは「ぼく」がどう生きたかを、そして、どう生きたかったかを考えることでもあります。
その問いは「自分自身がどう生きたいか」という問いにもつながります。
私たちのすぐ近くに「ぼく」はいます。
「ぼく」はもうひとりの自分かもしれない。
どうしたらすべての「ぼく」が、この世界で生きていくことができるのか、
この絵本をつうじて、考えていただけたらうれしいです。
「闇は光の母」シリーズ編集部
筒井大介(野分編集室)
堀内日出登巳(岩崎書店編集部)
この書籍を作った人
1931年、東京に生まれる。高校卒業後、詩人としてデビュー。1952年に第一詩集『二十億光年の孤独』(創元社)を刊行。以後、詩、絵本、翻訳など幅広く活躍。1975年日本翻訳文化賞、1988年野間児童文芸賞、1993年萩原朔太郎賞を受賞。ほか受賞多数。絵本作品に『ことばあそびうた』(福音館書店)、『マザー・グースのうた』(草思社)、『これはのみのぴこ』(サンリード刊)、『もこもこもこ』(文研出版)、「まり」(クレヨンハウス刊)、「わたし」(福音館書店)、「ことばとかずのえほん」シリーズ(くもん出版)他多数の作品がある。翻訳作品も多数。
この書籍を作った人
たまたま「谷川俊太郎」「絵本」「死」という文字に
Eテレの番組を録画しておいて
後日見て、びっくり
てっきり、勝手に
高齢者視点
人生における「死」だと
勝手に思い込んでいたのですが
「子どもの自死」
報道される痛ましい子どもの自死は
多くは、いじめとか耐えられない環境とか
だとばかり、これまた思い込んでいましたが
どうやら、はっきりした原因が分からないことが
多いらしいとのこと
子どもの自死というと
私は、同世代の岡 真史君の
詩集「ぼくは12歳」を思い出します
「闇は光の母」シリーズ3巻目
絵が、Eテレで見たとおり
淡々としたーという表現でいいのでしょうか
日常 です
スノードームのアイテムもなるほど・・・
「ぼく」がノートに書いた
詩も何度も読み返して
やっぱり、「ぼくは12歳」を思い出してしまいます
6−1のシールの道具箱もなるほど
「編集部より」は、ルビもふってあります
切な願いが綴られています
谷川さんの言葉はシンプルながら
グサグサ刺さるように思います
繊細な心を持つ子は、どう感じるのかな・・・
当たり前のことで
編集者側が意図しているとは思うのですが
詩だけ読むのと
絵がついている絵本と
伝わり方が違うかと
「うちゅうは おおきすぎる
じかんは おわらない」
「なにもわからず」
そうそう、これから、何かあるかもしれないんだよ
ね、だから・・・だから、生かされているんだよ
生きているのではなく、生かされているんだよ
と、希望的観測で伝えたいです
残念ながら
ロシアのウクライナへの侵攻が続く今だからこそ
なおのこと、強く感じさせられるのかもしれません
(しいら☆さん)
谷川俊太郎さんが「子どもの自殺をテーマに本を作った」と聞き、まずこの本を紹介したNHK番組を見ました。
その番組によれば、子どもの自殺では、死を選んだ理由が分からないことが多いそうです。番組に登場した自殺防止センターの方も、自殺を願う本人にとっては、他人から安易に「分かるよ」と理解を示してもらいたくない気持ちの方が強いのではないか、とおっしゃっていました。そして谷川さんも、いまは意味偏重の社会になってしまっていて、なんでも意味を見つけて満足しちゃうけど、逆にものごとを意味付けないでただじっと見つめることが大切ではないか、とも言っていました。だから谷川さんは、死の理由や意味を読者に「分かってもらわないように」この本を作ったようです。
意味偏重でいいのか?ということについては、なるほどと思います。そして実際にこの本を読んでみたら、たしかに登場人物の「ぼく」が自殺をした理由とか経緯は最後まで読んでもぜんぜん分かりませんでした。
でも、大きな疑問が湧きました。この「分からないでもいい本」を作った谷川さんご本人は、いったいどうして、ぼくにとって死が「いたくなかった こわくなかった」と分かるのでしょう。どうして「いなくなっても いる」んだとか、そういう死んだ者の感覚や気持ちや状態をこんなにもはっきり分かるのでしょう。谷川さんは子どもの自死のことをすみずみまで分かっているのでしょうか。それとも、想像力を働かせさえすれば、子どもの自死について、小さな子も読むかもしれない絵本の中でこんなにはっきりと「自分で死ぬことって、人と場合によっては、こういうものなんだよ」と断言できるくらいに死のことを分かることができるのでしょうか。
番組を見た時は、あえてタブーに挑んだ本でとても奥が深くてすごいことが書かれている本に思えたのですが、読み終えて思ったのは、ただ単純に「タブーに踏み込んで、よく分からなくて、奥が深い」とか「絵が神秘的」ということだけで気持ちよくなったり癒されたりしてはいけない本なのだろうな、いうことでした。悪書だとは思いませんが、子どもたちに紹介するときには慎重に取り扱った方が良いかもしれません。
(白いうさぎ黒いうさぎさん)
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