絵本ナビホーム  >  スペシャルコンテンツ  >  インタビュー  >  新・王さまえほん誕生!『王さまめいたんてい』 和歌山静子さんインタビュー

寺村輝夫さんとの出会い、堀内誠一さんとの出会い

――初期の王さまでは、長新太さんや和田誠さんなど、そうそうたる画家さんが絵を担当されていますが、私たちがなじみ深いのはやはり和歌山さんの描く王さまなんですよね。
和歌山さんが『ぼくは王さま』の絵を担当することになった経緯を伺えますか?

大学を出てからデザイナーやイラストレーターとしてフリーで働いていた頃、仕事をしていたデザイン会社の方があかね書房さんに私の絵を紹介してくれたのね。そのとき、あかね書房にいたのが寺村輝夫さんだったの。寺村さんはその頃すでに編集長と作家の二足の草鞋をはいて活動していて、王さまの本も発表していたんだけど、王さまのイメージをもっと確立できる絵描きを探していて、私に声がかかったの。そのとき寺村さんが出した条件は、「3年間は、ほかの人の創作作品に絵を描かないこと」だったのよ。


寺村さんが見た和歌山さんの絵。

王さまを描くきっかけとなったとっても貴重な作品です。

───それは寺村輝夫さんの専属画家になるということですか?

そう。ちょうど同時期に佐藤さとるさんと村上勉さんの「コロボックル物語」シリーズが出ていて、コロボックルみたいに、作家と絵描きがコンビを組んで読者に届ける作品を寺村さんも書きたかったんだと思うの。それで子どもの本の世界で無名の和歌山静子に白羽の矢が立ったわけ。
専属契約をするにあたって、寺村さんは契約料を払うと言ってくれたんだけど、私はそれより就職先を世話してくださいってお願いしたの。だって、いくら寺村さんが売れっ子でも、作品は1年に何冊も出ないじゃない。契約料だけで生活していけるとはとても思わなかったのよ。そのことはとても正解で、寺村さんが紹介してくれたのが、堀内誠一さんのいたアド・センターだった。後になって寺村さんは、「堀内さんのところで絵本の勉強をしてこいという気持ちで送り出した」と言っていたんだけど、当時のアド・センターには堀内誠一さんをはじめ、なかのひろたかさんや西内ミナミさん、デザイナーの金子功さんなど、第一線で活躍している方々が沢山いたのよ。

───和歌山さんはアド・センターで、プロの仕事を直に体感したんですね。

堀内さんは本当に仕事が早くてね、だって、定規なんか使わなくても綺麗な直線が何本も生まれるし、雑誌のタイトルロゴやフォントなど当時は全部手描きか写植だったんだけど、そのデザインもあっという間に完成させてしまうのよ。デザインの仕事を終えて堀内さんが自分の絵本の仕事を始めると、私なんかは手が止まってしまって、ジーっと堀内さんの手元に目がいってしょうがなかったわ。
そうして夕方くらいになると、私達に「ねぇ、まだ仕事終わらないの?」って声をかけて、会社の外へ飲みにいくの。堀内さんに連れられて行くお店には、絵本作家の太田大八さんや長新太さん、宇野亜喜良さんなどもいきつけで、飲みながらいろんな話が聞けて……寺村さんと堀内さんのおかげで、私は絵本作家や児童文学者の方との出会いという貴重な財産をもらえました。

───和歌山さんが『ぼくは王さま』の絵を最初に描かれたのは1967年の『王さまばんざい』からですよね。最初に王さまの文章を読んだときはどう思いましたか?

面白くて面白くて、「王さまをずっと描いていけたら良いな」と思ったわ。…まさか本当に40年以上も描き続けることになるとは思わなかったけれどね(笑)。でも同時に、王さまはすでに一流のイラストレーターの方が描いていたから、本当に私に描けるのか、不安も大きかったわ。私の絵で「王さま」シリーズを出版することを決めた当時の理論社の小宮山量平社長は「作家の世界に引きずられるのではなく、画家である和歌山さんの思うように描きなさい」って言ってくれたんだけど、最初の頃はまだ自分で描けるままにしか描けなくて……、でも今から思うとそれはそれで良かったのかもしれないの。だんだん寺村さんの言われるように描けるようになって行って……。


初期の頃の王さま。

髭や王冠などのアイテムは変わっていません。

───和歌山さん自身が、自由に王さまを描けるようになったと感じられたのはいつ頃からですか?

その頃、といっても「ちいさな王さま」シリーズの頃だから1985年くらいなんだけど、王さまの絵は、鉛筆で描いたラフを寺村さんや編集者に見てもらって、寺村さんからOKが出てはじめて、本絵を描くという手順だったの。でもあるとき…ラフのOKをもらってしまうと、いざ本絵を描くときドキドキしていない自分に気づいたのね。それで私、寺村さんに会ってラフを見せる約束の日に、全部本絵を描いて持っていったの。それを寺村さんはあっさりと受け入れてくれて…。それが、私が王さまに対して一歩前進したと自分で感じた時期じゃないかな。といっても、寺村さんは常々、作品の中に飛び込んで主人公と同じ気持ちで描かなければ作品は生まれないって言っていたから、「和歌山静子がやっと自分で気づいたか…」って思ったかもしれないわね(笑)。

息子が生まれて変わった、絵本に対する思い。

私、文も絵も自作の絵本を描いたのは、実は50代を過ぎてからなの。
作者と画家が別の絵本は、寺村さんとの契約期間を過ぎてから色々描いていたんだけど、正直、30代〜40代の頃は絵本を出しても、しばらくすると絶版になっちゃうことが多くて…スランプに陥ってたの。
それを脱せたのは、42歳のときに高齢初産、シングルマザーで子どもを産んだことが大きかった。子どもが生まれると、毎日絵本を読み聞かせるじゃない。そうしたら子どもはどうやって絵本と向き合っているのかを、改めて感じることができたの。正直、それまでは声に出して絵本を読むこともなかったし、しかも同じ本を毎日読まされるなんて…。そうやって、息子に絵本を読み聞かせるうちに、私は絵本って文章がとても大事だなって思ったの。

───きっと、和歌山さんが絵描きさんだから、自然と文章に目がいったんですね。


『よあけ』

そう。特に瀬田貞二さんの訳した『よあけ』(作・絵:ユリ・シュルヴィッツ、訳:瀬田 貞二、福音館書店)を読んだとき、それを強く感じたの。瀬田さんの簡潔な訳文は、シュルヴィッツの静かな絵に本当にしっくりと合っていて、それでいて子どもにおもねっていない。「やまが くろぐろと しずもる」なんて難しい表現が使われているんだから…。でも、絵を見れば確かに「しずもる」様子が感じられるの。それ以外の表現では伝わらないと感じるくらい、ぴったりな言葉の選び方なのよね。子どもは目で絵を読んで、耳で言葉を読むんだなぁ…って。そう思えたら、絵本の絵は最初に言葉を覚える子どもにとって、すごく大事なんだ。そこに描かれている言葉をしっかりと感じられる絵じゃないといけないんだって感じたの。


───息子さんに王さまを読んだこともあるんですか?

当時、うちの本棚には、いろんな絵本がたくさんあって、ちいさな図書館みたいだったんだけど、私、王さまだけは息子に見せなかったの。だって、王さまは何十冊もあるのよ。それを「読んで!」って持ってこられたら大変じゃない(笑)。でもあるとき、王さまの原画を描いている場面を息子に見つかってしまってね。それからはちゃんと見せるようになったわ。

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和歌山 静子(わかやましずこ)

  • 1940年京都に生まれ、幼少期は函館で過ごした。武蔵野美術大学卒業。力強く大胆な絵を寺村輝夫氏に見出され、20代後半から子どもの本の仕事を始める。絵本『あいうえおうさま』(絵本にっぽん賞受賞)『おおきなちいさいぞう』(講談社出版文化賞受賞)をはじめ、「王さまシリーズ」「オムくんトムくんシリーズ」など寺村氏との仕事が多い。ここ20年程は『てん てん てん』『ひまわり』『どんどこ どん』『おーい はーい』『おかあさん どーこ?』など自作の赤ちゃん絵本も多い。ほかに『ぼくのはなし』『よあけまで』『ぼく とりなんだ』など。

作品紹介

王さまめいたんてい
王さまめいたんていの試し読みができます!
原作:寺村 輝夫
構成・絵:和歌山 静子
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ぞうのたまごのたまごやき
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作:寺村 輝夫
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作:寺村 輝夫
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作:寺村 輝夫
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作:寺村 輝夫
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フォア文庫 ぼくは王さま
作:寺村 輝夫
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出版社:理論社
はらぺこ王さまふとりすぎ
作:寺村 輝夫
絵:和歌山 静子
出版社:理論社
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