絵本ナビホーム  >  スペシャルコンテンツ  >  インタビュー  >  『ふゆ』こうのあおい(葵・フーバー・河野)さんインタビュー

『ふゆ』のきっかけは南スイスの丘の家に暮らしたこと

───あらためて『ふゆ』を見ると、これは日本の冬ではなさそう、どこの風景だろうと想像がふくらみます。
1972年にイタリアの出版社から最初に『ふゆ』原書を出版するきっかけは何だったのでしょうか。

エッメ社(1960〜70年代にエンツォ・マリやイエラ・マリの作品『りんごとちょう』『木のうた』『あかいふうせん』なども出版しているイタリア・ミラノの出版社)の女性編集者から、「何かアイディアがあったらやりましょう」って声をかけてもらっていたの。
彼女は優秀な編集長で、エンツォ・マリさん、イエラ・マリさん夫妻と本を制作していたのも彼女だったと思います。
私とマックスが結婚することになったとき、スイス・イタリア語圏の最南端、一番イタリアに近い国境の街キアッソ(Chiasso)に小さなアパートを借りて暮らしました。
結婚後、しばらくして、南スイス特有の民家に住みたいからと探すうちにどんどん山のほうまで行ってしまって(笑)、ようやく見つけた人口170人くらいの小さな村の民家を買って引っ越しました。


こんなふうに南スイスには、伝統的な石の家がいまも残っているそう。暖房は暖炉。

───どんな家なんですか?

ほんとうに南スイス特有の、その土地で採れる石と木でできている家なの。赤い瓦だったかな、古いからもうぼろぼろなんだけど、かわいくてね。家を直して、住むことにしました。


葵さんが地元雑誌でインタビューされている様子。

葵さん作のテキスタイルやグラフィックが紹介されています。

引っ越してから初めての冬に、ゆきが降っていて、飼っていたねこが見あたらなくて外に探しに出ました。どこへ遊びにいったかな、と思って。
ふと見ると、ゆきの上にねこの足跡が点々とついていました。それから鳥の足跡。あ、おもしろいと思った瞬間が、『ふゆ』のアイディアが生まれるきっかけになりました。

───『ふゆ』は南スイスの丘の風景だったのですね。
「いちめんの ゆき たくさんの しろいゆき」
「おおきな あしあとが ふたつ だれかな?」
一緒に読んでいると、子どもたちはもう夢中なんです。どの足跡がどの動物?と絵本のひっぱりあいです(笑)。

どの足跡がどの動物か、答えはないんですよ。ただ想像して楽しんでもらえたらいいなと思ってるの。
私はあまり図鑑を見て描かないんです。正しく動物を描こうとすると、写真みたいでおもしろくなくなっちゃう。それよりもっと自由に、もっと楽しいイメージで描きました。
だから「足跡の形は正しいか」と聞かれたら、正しくないでしょうね(笑)。

───文字が少ないぶん、イメージが豊かに広がっていくような気がします。

絵本はたいていテキストを先に作って、それからイラストレーションを作るでしょう。でもイラストレーションは、本来、文章の説明や補足のためにあるのではない。
ほんとうは文字なしで出版したかったんです。でも編集者から文字が少しあったほうが、本としてひきしまるからいいんじゃないか、と言われて、文章をつけることになりました。
言葉はなるべく少なくしたかった。絵も文章も、余白があったほうが、子どもが自由に空想できるでしょう?
イラストレーションだけで子どもに通じる世界があるんですから。

───最終ページに描かれている動物たちが、とっても愛らしいですよね。

一番最初に描いたとき、動物たちはもっとカラフルだったの。ほら、空想の動物だから(笑)。
でも「アフリカの動物じゃないんだから・・・」と編集者から注文がついて、これでもちょっと落ち着いた色になったわね(笑)。コライーニ社から復刊するとき、さらに色彩を変えて、いまの日本語版と同じ動物たちの色になりました。
動物は好きです。ハリネズミやコウモリはいまの家でもよく出ますよ。鳥はいろんな鳥がいますし、ノネズミもいるし、モグラも・・・モグラってかわいいのよ(笑)。


エッメ社から出版された初版本の、カラフルな動物たち(作品集『io Aoi』より)

復刻版『ふゆ』の動物たち。さらに素敵になっています!

───ふだんはスイスにお住まいなのですか。

自宅は南スイスのノヴァツァーノ(Novazzano)という国境の村です。近くのキアッソ駅から南下する電車の線路がずっとのびていて、ミラノまで一本で行けます。このあたりからイタリアの職場に通う人は珍しくありません。南スイスの公用語はイタリア語なんですよ。ドイツ語、フランス語、ロマンシュ語も公用語なのでスイスには4つの公用語があることになります。

───定期的に日本と行き来されているのですか?

特に決めてないの。今回の日本は、2年ぶりです。亡き夫の仕事を伝える、マックス・ミュージアム(m. a. x. museo)を完成させることにここ何年かは力を注ぎ、忙しくしていました。キアッソ市に寄贈して運営をおまかせできるようになったところです。

スウェーデンからイタリア、そしてスイスへ

───外国で暮らすようになったきっかけは何ですか?

デザイナーの父(河野鷹思さん・故人)が戦後の1954年にヨーロッパに行ったとき、北欧のデザイン、特に家具やインテリアに興味をもって、素晴らしいと感激して帰ってきたの。
そのころスウェーデンの大きな陶器会社グスタフスベリ(Gustavsberg社)のディレクターで、デザイン特許をどんどん取得していたスティグ・リンドバーグ(またはリンドベリ。Stig Lindberg)さんの展覧会が西武百貨店でありました。カタログやポスターを父がデザインすることになり、そのご縁でリンドバーグさんと知り合い、父が彼に相談して、私はスウェーデンに留学できることになりました。
スウェーデンの首都、ストックホルムの王室デザイン工芸大学でレタリングを学びましたが、そこは王立美術学校ですから外国人はふつう入学できない。国からお金が出ているわけで、私が一人入るために、代わりにスウェーデンの学生が一人入れなくなっちゃうわけでしょう。私は日本の芸術大学を卒業したばかりで、そんなことも知らずのんきに行ったんですけれど。

───ミラノで働くデザイナーのマックス・フーバーさんとは、どのように出会われたのですか。

1960年に日本で世界デザイン会議があり、彼、マックス・フーバーが来日して、そのとき父と会ったそうです。そして翌年にイタリアでグラフィックデザイン展があったとき、逆に父が招待されました。
私はスウェーデンの学校に行っていたときで、ちょうど夏、学期が終わった頃でしたから、ミラノに行き父の紹介で彼に会いました。
同時にミラノではたくさんの友達ができました。芸大の先輩や後輩、絵や彫刻やオペラで日本から留学していた人もいっぱいいて、皆に後押しされてミラノに移住しました。そしてマックス・フーバーのスタジオで働き、彼と結婚しました。

───あらゆる分野のアーティストを目指す卵たちがイタリアに集まり、和気あいあいとしている様子がお話から伝わってきて、活気があって楽しそうな当時に憧れてしまいます。

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こうの あおい

  • 1936年東京生まれ。東京芸術大学図案科卒。
    その後、ストックホルム王室デザイン工芸大学で、主にレタリングを学ぶ。1961年イタリア・ミラノに移住。マックス・フーバーのスタジオにて助手を務めるかたわら、イラストレーションの仕事に協力する。現在まで、主にテキスタイル、カーペット、絵本、玩具を手がけ、併行してエッチング、セリグラフ、絵画制作も行う。現在、南スイス在住。

作品紹介

ふゆ
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作:こうの あおい
出版社:アノニマ・スタジオ
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