ありとすいか ありとすいか
作・絵: たむら しげる  出版社: ポプラ社 ポプラ社の特集ページがあります!
ある夏の午後、すいかを見つけたありたちは、巣に運ぼうとしてみんなで力を合わせて押しますが、びくともしません。そこで − − − 。

連載

祝! 王さま60周年記念! 「ぼくは王さま」を支える人たち 記念連載

理論社

2016/06/10

【連載】第1回 寺村輝夫さんって、王さまみたい? 奥様&息子さんにおはなしを伺いました!

【連載】第1回 寺村輝夫さんって、王さまみたい? 奥様&息子さんにおはなしを伺いました!

記念すべき第一回目にお話を伺うのは、寺村さんの奥様・玲子さんと次男の友昭さんです。長年、寺村さんを支えて、身近に接してきたおふたりに、夫として、父としての寺村輝夫さんの姿を伺いました。
●9人兄弟の6男として育った幼少期
―― 寺村輝夫さんは九人兄弟の六男として生まれたそうですが、奥様は寺村さんの幼いころのことを、何か聞いていらっしゃいますか?

玲子:とにかく、兄弟が多かったでしょう。しかも、1928年生まれで戦争の真っただ中だったから、食べ物もほとんどなくって。卵も2人で1個を分けなければならなかったそうです。そんな子ども時代だったからか、大人になって卵は大好物。料理が好きで気が向くとよく料理をしてくれましたが、中でも卵焼きへのこだわりは大変なものでした。
―― 「王さま」シリーズでもおなじみの「卵焼き」は、寺村さんの好物でもあったのですね。  

玲子:そのころの寺村家では、働いたものが特権として大きいおかずをとることができたようで、少しでも多く食べるために、よくおつかいをしていたと言っていました。
―― その後、寺村さんは16歳で終戦を迎え、早稲田大学に入学されたんですよね。 

玲子:兄弟の中で主人だけが大学に進学しました。そこで、「早大童話会」というサークルに入って、童話を書きはじめたそうです。当時いらっしゃった先輩方の中で、大石真さんがよく、「寺村さんの作品は良い」と言ってくださったそうで、大石さんには、作家になって作品が出るたびに新刊を贈っていました。大石さんもいつも、ハガキに感想を書いて送ってくださって、それを楽しみにしていたんですよ。

※大石真…児童文学作家。(1925年〜1990年)
―― 大学卒業後、寺村さんは児童書出版社の三十書房に入社し、編集者として働きながら、童話の創作も続けていきますね。玲子さんと会ったのはその三十書房のときだそうですが……? 

玲子:はい。私の義理の兄が三十書房で営業職についていまして、私が学校を卒業すると、会社で働かないかと声をかけてくれたんです。小さい出版社でしたからね。営業の仕事の手伝いも、編集の仕事の手伝いもこちらに回ってきて、いろいろな仕事を覚えることができました。
奥様の寺村玲子さん
―― 出会ったときの寺村さんの印象はどんな人でしたか? 

玲子:私の第一印象は「なんて面白い人だろう」でした。私は比較的昔かたぎの、厳格な家で育ちましたから、男の人はいつも厳しくて、きちっとしている印象を持っていました。でも、主人は、ユーモアがあって、面白いことを言っては、いつもみんなを笑わせていました。こんな人がいるんだって、ビックリしたんです。
―― 人を楽しませるサービス精神は、後の作品に通じるところがあるように思います。 

玲子:三十書房に入ってビックリしたのが、主人から「何か物語を書いてきなさい」と言われたことです。当時、松谷みよこさんが、作品を発表しはじめていて、女性で子どもの本を書く人がいると注目が集まっていました。でも、私はまったく文章を書こうなんて気持ちがなかったから、面食らってしまって……。何か書いて、持って行ったと思うのですが、何を書いたかも、主人からどんな感想を言われたかも忘れてしまいました。
―― もしかしたら、編集者として本の文章を書ける人を探していたのかもしれませんね。寺村さんが創作活動をされていることは、当時ご存じだったのですか? 

玲子:そうですね。ちょうどこのころ、福音館書店の松居直さんにお会いして『ぞうのたまごのたまごやき』が出版されたころでしたから。私も読んでみたのですが、今までの幼年童話とまったく違う型破りなおはなしだったのでびっくりしました。でも、面白かったので素直に「面白いわね」と言ったんです。どうやらそれが気に入ったみたいですね。結婚してからも、率先して読ませてはくれないのですが、さも読んでほしそうに、机の上に原稿が置いてあったりして……(笑)。こっそり読んで「面白かったわよ」と感想を言うのが、主人とのコミュニケーションになっていました。
―― そんな玲子さんからの応援もあって、「王さま」シリーズなど多くの作品が生まれたんですね。 

左から「こどものとも第4号 ぞうのたまごのたまごやき」(1956年 絵:山中春雄 福音館書店)、
「こどものとも第35号 おしゃべりなたまごやき」(1959年 絵:長新太 福音館書店)、
『ぼくは王さま』(日本の創作童話)(1961年 絵:和田誠 理論社)、
『王さまばんざい』(小学生文庫)(1967年 絵:和歌山静子 理論社)
●「王さま」シリーズの誕生と和歌山静子さんとの出会い
―― 1956年に「王さま」シリーズ1作目となる『ぞうのたまごのたまごやき』が出版された後も、初期の「王さま」は和田誠さんや長新太さんなど、いろいろな画家さんが絵を担当されています。現在までシリーズをささえる和歌山静子さんが担当したのは、1967年から。和歌山さんが絵を描かれることになったときのことを覚えていますか? 

玲子:もちろん。「やっと自分のイメージした通りの絵を描いてくれる人に出会った」と、大喜びで帰ってきたのがすごく印象深かったですね。
和歌山さんはアフリカ旅行にも2回同行されたそうです。1977年、左から寺村輝夫さん、和歌山静子さん、杉浦範茂さん。
――  以前、和歌山静子さんに寺村さんのことを伺ったとき、「王さまそっくりな人だったわ」とおっしゃっていたのですが、普段の寺村さんはどんな方でしたか? 

玲子:私も和歌山さんから「寺村さんは王さまそのもの」と聞いて、「なるほど…」と思いました。でも、知り合った当初からずっとそんな感じでしたから、私にとってはそれが当たり前のようなものなんです。「子どもみたい」と言う方もいましたが、ある年を過ぎると、息子たちの方が大人になってしまって(笑)。でも、日々の生活は規則正しい人なんですよ。どんなに前の日に夜遅く帰ってきても、日曜日は私よりも早起きをして、庭の草むしりをしたり、何か書き物をしていました。そのうち、居間でトランプを取り出してひとりでカードゲームをはじめるんです。
―― カードゲームですか? 

玲子:そうです。そうしながら、頭の中で物語を考えているんだと思います。でも、外から見た人はちょっと不思議だったみたいで、いつだったか、我が家に御用聞きに来ていた洗濯屋さんが「あのトランプには何か意味があるんですか?」って、まじめな顔で聞いたことがありました。
―― ずっと同じトランプで、同じ動作をしているんですよね……。すごく不思議だと思います。 

玲子:1時間くらいすると、書斎に行って執筆にとりかかるんです。そして、お昼ご飯を食べた後は、昼寝をしたり、お客様と打ち合わせを行ったり……。夜もそれほど遅くならないうちに床についていて、案外規則正しい人だったんです。
―― 息子さんから見た、寺村さんはどんなお父さんでしたか? 

友昭:ぼくは父と似ていたようで、あまり怒られた記憶もなくて。今でも大好きな父ですね。

玲子:そうなんです。私がしつけと思って息子たちを叱っても、主人は友昭には何も言いませんでした。ときどき「あなたも、友昭に何か言ってください」と頼んでも、「言えないよ……だって、ぼくそっくりなんだもん」って言っていました。上の子の方が叱られることが多くて、かわいそうでしたね。
次男の友昭さんは、「オムくんトムくん」のモデルのひとり。
―― そんなに友昭さんと寺村さんは似ているのですか? 

友昭:性格や趣味がそっくりだといわれますね。だから、父の癖とか、周りが父に対して、どうしてだろう? と思うことも、ぼくは何となく共感できるんです。例えば、父はよく書いた原稿を出版社に持っていこうとして、玄関先などに置き忘れて出て行ってしまうことがありました。

玲子:そうそう。忘れ物が多い人で、うちに遊びに来た子どもが「おばさん、ポストの上に何か置いてあったよ」って言われて、見てみると、主人が届けに行ったはずの原稿が置きっぱなしになっていて……。

友昭:父は原稿が書き終わったらもう、次の仕事に気持ちが行ってしまっているから、届けることが頭から完全に抜けてしまっているんです。そういうところはぼくに、もれずに受け継がれているので、よくわかるんです。

玲子:ふたりとも、カメラが好きなところも似ていますね。

友昭:もともとぼくが父のカメラを使わせてもらっていて、ぼくもはまったんだけど、大人になってからはライバル同士。ぼくも父もカメラが好きで、ぼくがいいカメラを買ってくると、父も負けじと新品を購入したり……(笑)。
―― そういう父と息子の関係性っていいですね。 

友昭:カメラに時計、あとアフリカから持ってきた民芸品など、とにかく父は収集癖のあるタイプでしたね。そういう部分も、ぼくがもれなく、受け継いでいます。
●文庫活動からソフトボールチームの監督まで。いろいろな顔を持っていた、寺村輝夫さん
―― 寺村さんといえば、やはり大のアフリカ好きとして有名ですが、いつごろからアフリカに魅了されたのでしょうか? 

玲子:たしか、友昭が幼稚園に入るくらいのときだったから、40歳手前のころだと思います。アフリカへは、その後も、編集者の方や、家族を連れて、毎年のように出かけていましたね。

友昭:行くのは決まって、乾季の季節。雨が降らないので、草が枯れて、動物たちもよく見えるからと、写真をたくさん撮ってきていました。父の最後の旅行もアフリカでした。

寺村さんがアフリカで撮影した写真。特にゾウが大好きで、ゾウに会うために、毎年アフリカに出かけたそうです。
―― アフリカや、アフリカの動物たちをモデルにした物語もたくさん書かれていますよね。アフリカ以外にも旅行は行かれたのですか? 

友昭:家族旅行は毎年、伊豆でした。伊豆周辺はほとんど回ったと思います。あと、正月の海外旅行も恒例でしたね。
―― 伊豆旅行に、海外旅行。とても家族思いのお父さんだったんですね。 

友昭:そうですね。ぼくと兄がソフトボールをはじめたら、父も監督として参加していました。父は三軍の監督でしたが、父は三軍の選手を一軍に昇格させるのが好きみたいでした。
―― 「王さま文庫」をはじめたのもこのころですか? 

玲子:そうですね。きっかけは、我が家に遊びに来ていた子が、主人の本を見て「いいな、こんなに本があって」って言ったこと。仕事柄、本がたくさんあったので、「貸してあげようか?」と聞いたら、とても律儀な子で、貸出ノートを作って、それに自分が借りた本と返した本を記録していったんです。当時、自宅のあった田無市には、図書館がなかったので、主人の発案で、自宅を開放して文庫活動をはじめることになりました。
―― 「王さま文庫」と命名したのもやはり、寺村さんですか? 

玲子:はい。和歌山静子さんに手作りのスタンプを作ってもらって、田無市に図書館ができてからも、33年ほど続けていました。
「王さま文庫」での一枚。長男の信晴さん(後)と友昭さん(左)。ふたりを見守るご夫妻の優しい表情が印象的です。
―― 寺村さんは、田無市に図書館をつくる運動のきっかけを作る活動をされていたのですね。息子さんたちも、文庫にはよく参加していたのですか? 

友昭:兄はよく手伝っていたようですが、ぼくはまったく近づきませんでした(笑)。子どものころは図鑑しか興味がなかったので、父の本も読んだ記憶がないんです。でも、ふしぎなことに大人になって読んでみると、はじめて読んだ気がしない……。きっと、一緒に生活をしている中で、父の書いた物語が、しみこんでいたんだなと思います。
―― 本当に間近で受け継いでいらっしゃるんですね。寺村さんの童話は、かつて子どもだった多くの大人の中にもしみこんでいると思います。いろいろなおはなしを聞かせていただき、本当にありがとうございました。  



序章 「王さま」シリーズの生みの親 寺村輝夫さんってどんな人?
「王さま」シリーズや、「寺村輝夫のとんち話・むかし話」シリーズ、「わかったさんのおかし」シリーズなど、数多くの児童文学を生み出した、寺村輝夫さんってどんな人? 知りたい方はこちら>>




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