さくらいろのかぜ (こどものせかい2023年4月号)
- 作・絵:
- 近藤 えり
- 出版社:
- 至光社
絵本紹介
<PR>
2022.11.10
至光社が毎月発行している「こどものせかい」は、キリスト教幼稚園・保育園に届けられる月刊保育絵本です。一冊の中にひとつのおはなしが入っている「おはなし絵本」タイプの月刊保育絵本で、"子どもも大人も共に言葉や論理を超えて共感する事のできる「感じる絵本」を目指して「0歳から100歳までのすべての子どもたちへ」"という編集テーマを掲げていることが大きな特徴です。
「こどものせかい」2023年4月号の作品と、1年間のプログラムをご紹介します。
「こどものせかい」公式サイトでは作者・近藤えりさんのメッセージが紹介されています。
年間購読された園の特典として、各月号にキリスト教保育にもとづいて絵本の「観きかせ」をする場合の一例となる「観きかせガイド」が用意されています。「観きかせガイド」はスマホやパソコンからも見ることができます。
育児や園生活のあいまに読むと、ほっと一息つける小冊子「ちいさなひろば」。2023年からはWEB版となりいつでも、どこからでも、気軽にアクセスして楽しめるようになりました。
「こどものせかい」で発表された作品の中には、園で人気となり、一般の書店でも購入できる絵本になった作品もあります。
――「こどものせかい」は、全国のキリスト教保育園・幼稚園を中心に購読されている月刊保育絵本ですが、「こどものせかい」が誕生した経緯を教えてください。
「こどものせかい」のルーツは第二次世界大戦終結3年後の1948年5月25日に創刊された児童雑誌『BABY DIGEST』にさかのぼります。 この『BABY DIGEST』の発行元は、至光社の前身である「光の友事業団」で、小学生を対象に広く世界の事を知り、世界の子どもたちと仲良く手を取りあっていけるように、子どもたちが、さまざまな知識を吸収(Digest)できるように、との意図から世界各国の特長や名作・昔話などを紹介する児童雑誌の形態で刊行されました。
――「至光社」は当初、「光の友事業団」という名前で設立されたのですね。
そうです。「光の友事業団」は、戦後の混乱した社会において、未来を担う子どもたちに対して、何か力になりたいとの思いで、戦災未亡人でありカトリック教徒であった武市君子とその長男・武市八十雄、そして、当時八十雄が在籍していた慶応大学の同級生らによって発案され、カトリック・フランシスコ会司祭のカナダ人神父M・カブリエルに相談した結果、多くの協力者を理事に迎え、特名法人として設立されました。 その後、『BABY DIGEST』は1953年に「こどもの世界」と名称を変え、発行元名「光の友事業団」も新たに「至光社」と改名されました。さらに1955年には児童雑誌『BABYDIGEST』も現在も使用されている月刊保育絵本の名称「こどものせかい」と改称し、カトリック系幼稚園を中心とした配本先に向けた月刊絵雑誌という体裁になりました。
―― 改称した頃の「こどものせかい」はどんな構成だったのですか?
当時の「こどものせかい」は、多くの詩人によることばと、画家たちによるイラストによって構成されていました。見開き場面をひとつの読み物として、16ページの中に、聖書や西洋の昔話、それに詩人が書き下ろす季節折々の詩など、内容の異なる短い読み物を複数収載していました。
―― 現代の「総合保育雑誌」に近い構成だったのですね。今は1冊で1話読み切る「おはなし絵本」の形式を取られていますが、それはいつ頃変わったのですか?
1963年4月号から、現在と同じ形の月刊保育絵本となりました。大きな特徴として、子どもも大人も共に、言葉や論理を超えて共感する事のできる「感じる絵本」を目指して「0歳から100歳までのすべての子どもたちへ」という編集テーマを掲げ、今日まで折々の変化に応じながら、常にそのテーマを追求し続けています。
―― 1963年にそのように編集テーマを掲げたのは、何か理由があるのでしょうか?
こうした方向性を見出したのは、発行元である至光社の前代表者・武市八十雄が、1960年前後の急速な戦後復興と、そこからの目覚ましい技術革新や経済成長、それに伴う人びとの価値観の変容、子どもの教育に対する要求の急激な増大について、人類の長い歴史に照らして見た時に、どうしても相容れない違和感と、何か言葉にはできない危機感を感じた事によると言います。 こうした思いを反映するように、至光社の標榜する「感じる絵本」では、ことばやストーリーで全てを論理的に説明して作品の内容を手軽に理解させたり、物語としての落ちや起承転結を明確につけて単一的な読後感や面白みを容易に固着させてしまったりすることをなるべく避けようとしています。
―― 単一的な読後感や面白みを固定させることを避けるとは、具体的にどういうことですか?
例えば、言葉の部分では、読み手にとって若干不可解なところや論理的に淡泊と感じるようなところを意図的に残すことによって、言語によるコミュニケーションを極力最小限に留め、代わりに絵やイラストレーションによる非言語的なコミュニケーションによって、極力読み手が言語以外の手段、つまり見たり、眺めたり、聞いたりするなど、感覚を駆使することで、読み手が読み手自身の想像力によって、作品を自由に感じ取ることができるような余地を残そうとしているわけです。 「感じる絵本」とは、読者にできるだけ多くの事を感じてもらうために、単に絵や文の説明を極力省くと言う事ではなく、絵本と言う平たんな紙の世界から、描かれたすべての物の背景にある日常や非日常をも含む様々な事にまで、読み手のそれぞれが持つ多様な個性や感性をもって、自由に無意識に、言葉にならない想像の世界が膨らむような豊かさを目指しています。
―― 「感じる絵本」は作品の解釈が、より読み手に委ねられている感じがしますね。「こどものせかい」と名前が変わってから、60年以上経ちますが、最近の月刊保育絵本を巻く環境について、どのように感じていますか?
「感じる絵本」のように読者に主体性を委ね、多くの事を漠然と感じてもらうと言う試みは、反面読者を取り巻く環境等、その時々に変化する多くの要素に結果を委ねる事ともなり、明確で論理的な説明や評価も難しいものです。 何よりも文字や動画による情報に溢れ、生活のリズムが非常に早くなっている今日の社会において、読者である子どもも、そしてその絵本を与える保育者や親たちを取り巻く環境も非常に難しくなってきています。 多忙な日常における仕事や家事、それに昼夜溢れるテレビやスマホなどのメディアの洪水によって、「感じる絵本」を子どもたちに伝えて行くことは、非常に困難な状況となっていると感じています。 それでも、将来多くの職業がAI等で取って代わる事が可能と言われ、個人の直感や感性、互換性のない問いに答える力等が求められる時代において、「感じる絵本」の果たす役割とその伝達方法を、出版社としてもう一度客観的に見つめ直し、もっともっと、今を生きる子どもと大人に寄り添えるような絵本を模索し続けたいと思います。
―― ありがとうございました。