───新訳新装版『台所のメアリー・ポピンズ』出版のきっかけは、アンダーソン夏代さんがお持ちになっていた『メアリー・ポピンズのお料理教室』(1977年に文化出版局より刊行)だったとお聞きしました。この本との出会いを教えていただけますか。
『メアリー・ポピンズのお料理教室』との出会いは実家の本棚です。私が3歳の頃に母が初版で購入したものだそうです。数あるメアリー・ポピンズのシリーズのなかから母が選んだのはこの本だけで、いつか娘たち(私と妹)と一緒にこの本のなかから何か作りたいと思ったのではないでしょうか。
───アメリカに住んでいらっしゃる今も手元にあるとうかがいました。アンダーソン夏代さんにとって、この本はどのようなものだったのでしょうか。なにか特別な思い入れがあるのでしょうか。
物への執着は子どもの頃からあまりない方なのですが、この本は私にとって手元にあるだけで、なぜかとても安心するセキュリティー・ブランケットのような存在で(スヌーピーでいう『ライナスの毛布』です)、実家にある絵本類をいとこたちに譲り渡す話が出た際にも、この本はその選択肢からはずしてもらいました。 渡米後もずっと実家にありましたがどうしても気になり、2年前に母に頼み込んで譲り受け、今は北フロリダにある我が家の本棚に並んでいます。
───どんなところがお好きだったのですか?
やさしい雰囲気のイラストが添えられたおはなしはもちろんですが、食いしん坊の私は曜日ごとのメニューを見てどんなものだろうかと想像しながらワクワクし、そして、その作り方が掲載されていることに魅力を感じました。当時は材料が手に入りにくかったこともあり実際に作ることはほとんどありませんでしたが、それでもおはなしに登場する料理の作り方がわかるだけで嬉しくなったものです。
北フロリダの本棚に並んだことで再び安心感を得ていた2014年のある日、ディズニー社の映画「Saving Mr. Banks(邦題は“ウォルト・ディズニーの約束”)」を見る機会がありました。そのなかで、「メアリー・ポピンズ」原作者のP.L.トラヴァースがこの本を執筆しているシーンが登場し、ふと気になって原書の取り扱いがあるか調べたところ、アメリカ版がレシピの数を減らして8年前に復刻されていたこと、そしてイラストがカラーになっていることなどの発見がありました。日本でもこのアメリカ版をベースにした新訳の新装版が出せないかアノニマ・スタジオにご相談したことが、今回の話につながっています。
さくらんぼのパイ さかさまケーキ
───お料理ノート部分の新訳にあたっては、レシピをもとにすべてのお料理を再現されたとか。
アノニマ・スタジオさんのホームページに掲載された、アンダーソン夏代さんが作られたというお料理写真が素敵ですね! 作ってみて、お気に入りになったレシピはありますか?
お気に入りのレシピを挙げると片手では足りないのですが(笑)、とくに料理では「ローストビーフ」と「グリーンピースのバター和え」、菓子類ですと「焼きメレンゲ」、そして「ジャムタルト」を気に入りました。
それぞれについて触れると、

「ローストビーフ」
日本では牛のたたきのような脂身控えめのローストビーフが好まれることを鑑みて、赤身中心ものと適度に脂があるものの2種類で試作確認をしたところ、この作り方の場合は後者のほうが断然美味しかったです。これを作る際に出る脂を用いてヨークシャープディングを作る理由がよく分かりました。脂の風味が美味しくて、捨てるにはしのびないのです。

「グリーンピースのバター和え」
グリーンピースを苦手とするお子さんが多いと思うのですが(私もその一人でした)、子どもの頃にこの料理法でグリーンピースが食卓に並んでいたら、苦手だなんて言わなかったかもしれません。

「焼きメレンゲ」
下準備として天パンにバターを塗って作るのですが、焼いている間にバターの風味がメレンゲに移り、サクサクしたミルキーを食べているような気分になります。

「ジャムタルト」
作り方は非常にシンプルかつ家にある好みのジャムを使えることがいいなと思いました。美味しいジャムが数種類あれば、華やかな仕上がりになります。
───原書は約40年前の出版、イギリスの伝統料理とのことで、再現するのにご苦労された部分などありますか。

新訳のためにすべて再現したお料理!
今回新訳・新装版を出版するにあたりアメリカ版をベースに翻訳したのですが、掲載されているカップ表記をすべて実際に計量、試作して、g(グラム)、ml(ミリリットル)に直しました。
その際、1975年に発行されたイギリス版とあたらしいアメリカ版を比較確認したところ、表現や分量に多少の違いを見つけ、レシピどおりに作っても生焼けや反対に火が通り過ぎるものがあったので、原書から逸脱しないように気をつけながらも、可能な限り失敗が少なく作れるよう、オーブンの温度や焼き時間などをバランスよくするのに心を砕きました。
日本で『メアリー・ポピンズのお料理教室』が出版された1970年代頃には詳細が分からなかった情報も補充し、イギリス、アメリカ、旧日本版のすべてのよいところが集まった本になったと思っています。

ボリュームたっぷりな「昼ごはん」。
───本では、お昼のボリュームが朝食と夕食に比べてとても多いのでびっくりしました。イギリスではそのような食生活が一般的なのでしょうか。
イギリス在住や留学経験のある友人、知人にたずねてみたところ、現代のイギリスでは、子どもたちや就労している大人は「サンドイッチ、クリスプス(ポテトチップ)、フルーツ、飲み物」といったセットメニュー(通称Packed lunch)で軽くランチを済ませる場合が多いようです。
『台所のメアリー・ポピンズ』の舞台は20世紀初頭のロンドンなので、現在とは食習慣が異なり、バンクス家は比較的裕福な家庭でボリュームのある夕食が必要だった労働階級ではないこと、小さな子どもたちは早く就寝するので体に負担をかけないよう夕食は軽めにすることなどを考慮して、お昼に重きを置いたのではないでしょうか。夜にあんなご馳走をお手伝いしながら作って食べていたら疲れてしまいますしね。
ちなみにこの本に登場する朝ごはんも、他国に比べるとこの時代としてはかなり豪華なものです。
───一週間のおはなしのなかでお好きな曜日、気になるキャラクターは、いらっしゃいますか。
私は火曜日のおはなしが好きで、気になるキャラクターは間違いなくブーム提督です。
威厳高々でありつつもメアリー・ポピンズを尊敬し、バンクス家の子どもたちと楽しく料理をして食欲も旺盛。
こんな方なら、近所迷惑ですが決まった時間ごとに空砲を撃っても見逃したいと思います(笑)。
───時間をかけず手間をかけない料理本も数多くありますが、本書は、ゆったりとした時間が流れるメアリー・ポピンズとそのおはなしの世界の住人たちの愉快な日常が垣間見れ、読み物とレシピが両方楽しめる、とてもユニークなものだと思います。
約40年前にイギリスで出版された本を、新訳新装版として出版されることについてどう思われますか。この本に込めた特別な思いがありましたら教えてください。
この本には、日常的なお手伝いや世代を超えた人付き合いといった、現代の日本では希薄になりつつあることが日々のおはなしのなかに生き生きと記されています。そして、レシピはシンプルですが時間をかけて丁寧に作るものが多く、それがおはなしと一緒に記憶に残ります。
自分がとても大事にしていた本に再び向き合い、そしてそれが新装版として出版され、さらにはそれに関われたことに幸せを感じます。アノニマ・スタジオさんをはじめ、おはなしの素敵な翻訳をしてくださった小宮由さん、私の作業がスムーズに行くよう細やかな配慮をしてくださった担当編集の村上妃佐子さん、すべての関係者に感謝しています。
───これから『台所のメアリーポピンズ』を手にとる方は、どのように楽しめばよいでしょうか。メッセージをいただけますか。

『台所のメアリー・ポピンズ』は幅広い世代に受け入れられ、楽しんでもらえる一冊だと思っています。
子育て中のお母様には、お子さん方が小さな頃には読み聞かせを・・・、少し大きくなれば子どもたちだけで読み・・・、もう少し大きくなればこの本のレシピのなかから一緒に料理をし・・・、登場人物がどんな料理を食べていたか実際に召し上がっていただければと思います。
大人の皆様は、まずおはなしを楽しみ、レシピにも目を通していただいた後、再びおはなしを読んでみてください。レシピがわかることでおはなしの描写が際立ち、登場人物がもっと生き生きとして見えてくるはずです。そして、機会があれば実際に作っていただけると嬉しいです。
末永く皆様のお手元に残る一冊となりますように。
───アンダーソン夏代さん、ありがとうございました!
<料理家・アンダーソン夏代さん>
福岡生まれ。中村学園大学短期大学食物栄養科卒業。
フロリダ州ジャクソンビル在住。アメリカ南部・ノースキャロライナ州出身の夫との結婚を機に、
アメリカ料理(特に南部料理)の研究を本格的に始める。
アメリカの田舎でも無理なく作れる和食と各国料理の教室を主宰。
著書に『アメリカ南部の家庭料理』、『アメリカン・アペタイザー』(アノニマ・スタジオ)。
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