●「100%ORANGE」と「及川賢治 竹内繭子」の名前の違い。
───お二人は、「及川賢治」「竹内繭子」というお名前でも、「100%ORANGE」というユニット名でも絵本を出版されていますよね。読者の中には及川さん、竹内さんと「100%ORANGE」さんが同じ人だと知らない人もいるのではないかと思います。
そうですよね。個人的に自作絵本を描くときは「及川賢治 竹内繭子」。イラストのお仕事や、ほかの作家さんの文章に絵をつけるときは「100%ORANGE」という感じでゆるーく決めているのですが、デビューして15年がたとうという今も、しっかりと決めていない感じなんです。
───「100%ORANGE」というお名前がとてもインパクトがあると思っているのですが、名前の由来はあるのでしょうか?
「100%ORANGE」という名前は、大学生のころ二人で付けたものなんです。当時、プリントゴッコでポストカードを作って、雑貨屋さんで販売していたのですが、個人名よりも何か面白いユニット名があった方が良いだろうと思って、よりインパクトのある名前にしました。でも、そのときはまさか絵本の仕事をするとは思っていなかったので、今思うと、もっとまじめな名前を付ければよかったなあって思います。
いつも作業をしている机を見せていただきました。
───「100%ORANGE」として、お仕事をはじめたときから、絵本を作りたいと思っていたのですか?
ぼくは、子どものころからマンガが好きで、マンガ家になりたいと思っていました。高校のときは、マンガ雑誌に投稿をしていました。そのころは、あんまり思い出したくないような気持ちの悪いギャグマンガを描いて、雑誌の賞をもらったりしていました。でも、大学に入ったくらいにマンガではなく、デザインの方に進みたいと思ったんです。それで、デザイン性の高い絵本があると聞いて、手に取ったのがブルーノ・ムナーリの絵本でした。
───それまで、絵本に接する機会はあったのですか?
子どものころは、それこそ『ぐりとぐら』(福音館書店)とかは読んでもらっていたと思うのですが、ほとんど忘れていましたよね。だから、大学図書館でムナーリの『闇の夜に』(河出書房新社)を見たときは、こんなモダンな絵本があるんだとかなり衝撃を受けました。ちょうど90年代に絵本ブームが起こって、デザイナーの手掛けた絵本が脚光を浴びていた時期でした。でも、自分が絵本を描こうなんて、思っていなかったですね。
───「100%ORANGE」として、ポストカードを販売していたのも大学のときでしたよね。
そうです。そのイラストを目にした編集者さんやデザイナーさんなどから、声をかけていただけるようになりました。その中のひとりが、福音館書店の編集者さんで、その人一緒に作ったのが、デビュー作『ぶぅさんのブー』。2001年のことです。
───それから15年間、絵本を描き続けているのですね。『まるさんかくぞう』『いっこさんこ』は文溪堂から出版されていますが、どういった経緯で出版が決まったのですか?
2015年に閉店したトムズボックスの土井章史さんが、ぼくの作品のいくつかの編集を担当してくれました。文溪堂さんでは『まるさんかくぞう』、『いっこさんこ』のほかに『ねこのセーター(※)』や『ブタベイカリー』(文:角野栄子)も2冊出版をしていますが、どれも土井さんが文溪堂さんへ紹介してくれたんです。
※『ねこのセーター』……初出は「学研おはなし絵本」(学研)
───トムズボックスの土井さんは絵本作家を育てるワークショップ「あとさき塾」で、酒井駒子さんや島田ゆかさんなど有名絵本作家を次々と世に送り出している編集者さんですよね。土井さんと出会ったきっかけは何だったのですか?
土井さんとの付き合いも20年くらいでしょうか……。大学生のころ、ちょこちょこトムズボックスに通っては、長新太さんや茂田井武さんの作品に出合いました。仲良くなったきっかけはもう忘れてしまいましたが、何度か個展もさせていただき、絵本のラフなどを見てもらました。
───ブルーノ・ムナーリ作品で絵本に感銘を受けて、トムズボックスで、さらに絵本に対する認識を深めていったのですね。
そうかもしれないですね。最初、外国のちょっと洒落たものから入って、そのあと、段々と日本的な作品の深さを知ったという感じですね。
本棚にはマンガや画集、児童文学などさまざまなジャンルの本が並んでいました。