1967年に『ボタンのくに』(こぐま社)で絵本作家としてデビューされた西巻茅子さん。デビュー3作目に発表した『わたしのワンピース』(こぐま社)は、多くの子どもたちの心をつかみ、長く愛されるロングセラーとなりました。そんな西巻茅子さんの絵本作家デビュー50周年を記念して、2017年4月15日から5月28日まで、銀座にある教文館9階 ウェンライトホールで「西巻茅子 絵本デビュー50周年記念展」が開催されています。『わたしのワンピース』はもちろん、最新の絵本『ぞうさん』(こぐま社)の原画、普段使われている画材、過去のラフ画などが堪能できる貴重な機会です。原画展開催に合わせて、自身初となるエッセイ集『子どものアトリエ 絵本づくりを支えたもの』を発売された西巻さんにお話を伺いました。
ロングセラー絵本『わたしのワンピース』の作者、西巻茅子の初エッセイ集。幼少期の思い出や芸大卒業後にはじめた絵の教室「子どものアトリエ」、絵本作家になるまでの道のりまで作者が考え続けてきた「子ども」「絵本」「絵を描くこと」について率直な筆致で綴る。 今では代表作となった『わたしのワンピース』が発売当初は全く理解も評価もされなかったという意外なエピソードや絵本になる前のラフスケッチなど貴重な資料も掲載したファン必見の一冊。
●絵本作家50周年を記念して、出版された初のエッセイ。
───絵本作家デビュー50年、おめでとうございます。50周年を記念して出版された『子どものアトリエ 絵本づくりを支えたもの』は、文字通り、西巻さんの絵本作りを支えてきたものがぎゅっと詰まった一冊ですね。この本はいつごろから書こうと思っていたのでしょうか?
銀座にある教文館のウェンライトホールで「西巻茅子 絵本デビュー50周年記念展」開催が決まってから、本格的に執筆がスタートしました。もともと、出版社から「デビュー50周年に向けて、新作の絵本を描いてください」と依頼されていたんですけど、私はもう78歳のおばあちゃんだから、なかなか新作を手掛ける気分にならなくて……。ちょうど去年、描き上げた『ぞうさん』(こぐま社)も出版されて、それがまあまあ気に入っていたから、それでいいじゃないって思っていたの。そうしたら、「講演で話されているようなことを、文章で書きませんか?」と提案されたんです。
───文章はすべて書き下ろしなのですか?
何編かは前に書いたものを、少し手直ししました。ただ、家族のエピソードや子ども時代の話などのほとんどは新たに書き下ろしたのよね。2017年の1月ぐらいからスタートして、2か月以上かかったのよ。
───かなり短期間で書き上げられたのですね。
「西巻茅子 絵本デビュー50周年記念展」の日取りが決まっていましたからね。それに合わせて締切も決まっていたんです。でも、ひとつひとつは短い文章だったので、書くのはとても楽しかったですよ。
───タイトルにもなっている「子どものアトリエ」は西巻さんが大学卒業後にはじめられた、教室の名前。ここでの子どもたちとの出会いが、絵本を描こうと思ったきっかけだというところが、とてもステキでした。
私は父が絵描きだったので、子どもの頃から絵が身近にある環境で育ちました。当時、父の友人の絵描きさんはみんな、芸大や美術学校を出ている人が多かったのね。だから、子ども心に絵描きというものは、特別な才能がある人がなる職業だとずっと思っていたの。でも、大学を卒業して「子どものアトリエ」で子どもたちに絵を教えるようになると、その考えが根底から覆された。だって「子どものアトリエ」にやってくる子たちはみんな、本当の意味での「表現」を知っていたんです。
───「ひとりひとりがみな、自分の心にあるものを迷わず表に出している。(中略)子どもたちは皆、芸術家だったのである。」と気づいたのですね。
そうそう、思っていることをそのまま表現することが良い絵ができる条件だって、子どもを見て、はっきりと思い知らされたんです。
───「子どものアトリエ」での気づきがなければ、絵本作家になろうとは思わなかったですか?
そうねぇ……。そのときは、子どものアトリエに来ているような子どもたちが読む側にまわる絵本というのはとても厳しい世界だなと思いました。でも、私の資質からすると、もしかしたら、この子たちに向けた作品が作れるかもしれないと思ったのよね。それで、絵本作家になろうと思って、まず持ち込みをすることにしました。
───持ち込みをするための作品作りの方法として選ばれたのが、リトグラフだったんですね。
リトグラフを選んだ理由は2つあって、ひとつは、版ができれば何枚も刷ることができるから、絵本の出版社へ売り込みしやすいと思ったこと。もうひとつは、版を刷り重ねていくと、自分でも思いがけない絵ができあがることが、面白かったのよね。