昭和史、太平洋戦争の研究や著作で知られる作家、半藤一利さんの、東京大空襲の体験を描いた絵本『焼けあとのちかい』(大月書店)が出版されました。
絵は、『やきざかなののろい』や『とうめんにんげんのしょくじ』(共にポプラ社)などのユーモラスな絵本が人気の塚本やすしさんです。
半藤さんがご自身の体験を絵本という形にして伝えたかったことはなんでしょうか?
半藤さんと塚本さん、そして編集の森幸子さんに、お話をうかがいました。
●向島の「地の縁」が繫がって生まれた絵本
───『焼けあとのちかい』は、半藤さんにとって初めての絵本になりますが、できあがった絵本を手に取ったときはいかがでしたか?
半藤:この絵本だけは、いつ手元に来るのかと、心待ちにしていましたね。
私は山ほど本を出版してきました。
活字の本は、できるまで散々ゲラを読むので、見本が完成する頃にはいつも飽きてしまっているんです。
でも、この絵本だけは違った。ページを開くのも楽しみでした。おっかなびっくり開きましたよ。
文章を担当した作家の半藤一利さん。
───空襲で焼け出された半藤さんの実体験を、中・高校生向けに書いた体験記として『15歳の東京大空襲』(ちくまプリマ―新書)があります。
簡潔でわかりやすい文章ですが、約150ページというボリュ−ムのある内容ですね。
今回「絵本を作ろう」と思ったきっかけはなんでしたか?
塚本:編集の森さんから、「戦争の絵本を作りたい」という相談を受けたのがはじまりでした。
僕は2014年に『せんそう 昭和20年3月10日 東京大空襲のこと』(東京書籍)、2015年に『戦争と平和を見つめる絵本 わたしの「やめて」』(朝日新聞出版)を出していたので、フリーランスの編集者である、藤代勇人さんを誘って、どんな絵本にするか3人でアイデアを出すことにしたんです。
その話し合いの中で、藤代さんから「半藤さんの『15歳の東京大空襲』がすばらしい」という話が出て、ぜひとも絵本にさせていただきたいということになりました。
絵を担当した塚本やすしさん。
森:そこで2018年の11月に、私から半藤さんへお手紙を差し上げました。
どうやって絵本にするかイメージしていただけるように、『せんそう 昭和20年3月10日東京大空襲のこと』、『戦争と平和を見つめる絵本 わたしの「やめて」』など、ほかの出版社から出ている塚本さんの戦争関連の絵本を数冊同封したんです。
そうしたら、すぐにお電話で「いいですよ」とお返事をいただけて。
編集を担当した大月書店の森幸子さん。
半藤:『15歳の東京大空襲』が発売されたのは2001年だから、もう15年以上前ですね。
中・高校生向けに書くのがとても難しかったのを覚えています。
でも、それに目をつけて、それをもとに絵本を作るというんだから驚きました。しかも、塚本やすしさんが絵を描くという。
───塚本さんが戦争について、しかも東京大空襲についての絵本を出していることは知っていましたか?
半藤:実は、『せんそう 昭和20年 東京大空襲のこと』を出版した東京書籍の編集者は、昔からの知り合いなんです。
あるとき、彼から「東京大空襲のことについて書いてある絵本で、先生も体験したやつだから読んでください」と送られてきたのが『せんそう 昭和20年 東京大空襲のこと』でした。
だから塚本さんのお名前は知っていたんですよ。
そういえば家に絵本があったなと引っ張り出してきて見て。「ああ、この方か。出てくる子どもがみんな丸い顔だ」と思って。
塚本:後日、半藤さんの奥さまから「うちの主人はもっと四角くて、面長なのよ」と言われましたね(笑)。
半藤さん、塚本さん、森さんを繋げた本たち。
半藤:もし先に絵本を見ていなかったら、お手紙をもらったときに「どんな絵描きさんかわからないから…」と渋ったかもしれません…。
『せんそう』は、お母さんのおはなしが元になっているでしょう。
歴史探偵的に推理しますと、塚本さんのお母さんは押上生まれですよね。私の家は、押上からちょっと入ったところなんで、同じ生まれだと。
塚本:ご近所ですよね。もしかしたら当時、母と半藤さんはどこかですれ違っているかもしれないです。
半藤:もしかしたら、塚本さんや森さんたちが私の本に目をつけたのは、私と塚本さんのお母さんが同じ郷里生まれだからかなと思ったんですね。
お母さんとはいくつも違わないだろうし。
塚本:東京大空襲は、母が6才のときだったと聞いています。
半藤:じゃあ空襲のときは、お母さんはうんと子どもだったんだね。
とにかく、そういう意味では、私と塚本さんには、地の縁があるんですよ。だから、二つ返事で喜んで応じたんです。
塚本:ありがとうございます。半藤さんとは世代が違いますが、僕は生まれも育ちも、今住んでいる所も墨田区なんです。
小さいころから、僕が食べ物を残したりすると、母が決まって言うんですよ、「戦争のときは食べるものもなかったんだから、食べなさい!」。なにか悪さしても「戦争のときは〜」と、毎日怒られる度に戦争の話が必ず出てくるんですよ。
その記憶がずっとあって、絵本作家になって、せっかく墨田区に住んでいて、東京大空襲を経験した母がいるんだから、絵本として残しておいた方がいいかなと考えて、『せんそう』を作ったんです。
半藤:私は絵本づくりについて全然知らないから、任せるしかないと思っていました。「どうぞ自由にやってください」と。
だから正直言うと、こんなにすばらしくて、私の一番楽しい本になるとは思いませんでした。
実はね、絵本にしてもいいと思ったのは、私のある経験もあるんです。
───どんな経験ですか?
半藤:私が『文藝春秋』にいたときに、3ヶ月だけ女子大の非常勤講師として、教壇に立ったことがあったんです。今から30年くらい前ですか。
今の若い世代の人がどんなことを考えていて、どんな知識を持っているのかを知りたくて、毎回授業のおしまい10分間のアンケートに協力してもらったんです。
そこで「太平洋戦争に関する10の質問」というのをやって、第一問目に「日本と戦争しなかった国はどこでしょう」という問題を出したんです。
答えは4択で、「アメリカ、ドイツ、旧ソ連、オーストラリア」としましたが、50人中13人が「アメリカ」に丸をつけたんです。
授業で私の話を聞いていたにもかかわらず…。びっくりしました。
───そうだったんですね。
半藤:でも、別のアンケートで、「ナチスドイツのヒトラーについて、知っていることを書いてください」と出したときには、50人中48人が正しい答えを書いていたんです。
アメリカと日本が戦争したことを知らない人が13人いたのに、どうしてヒトラーのことはほとんどの人が知っているのかと理由を尋ねたら、「映画の『シンドラーのリスト』を観たり、『アンネの日記』を読んだり、手塚治虫さんの『アドルフに告ぐ』という漫画で知った」というんです。
私は活字信奉で、映像や漫画を侮っていたんですが、若い世代はそういうところから知識を得るんだとよくわかって。
だから、「絵本にしたい」と話が来たときに、渡りに舟だと思ったんです。
───森さんは、半藤さんに快諾していただけると思っていましたか?
森:本当にお受けしていただけたらうれしいなと思っていましたが、お手紙を出してすぐにお返事をいただけるとは思っていなかったですね。
───お互いに良いタイミングでの巡り会いだったんですね。次のページでは、塚本さんに絵づくりに関するおはなしをお伺いします。