色鉛筆?クレヨン?で描かれたような絵が可愛らしく、子供と一緒に読もうかと図書館から借りてきました。
お話は、主人公の「ぼく」が話かける口調で書かれています。
「ぼく」はもうおおきいから、家族の皆が嬉しいことはみんな違うことを知っているし、誰かが嬉しいとぼくも嬉しくなることも知っている、だからぼくがどうすれば皆が嬉しいか知りたい、と一生懸命考えます。
“相手が嬉しいと自分も嬉しい”そう思えることは素晴らしいことだと思います。そして、だからどうすれば相手が嬉しいかを考える。
人の気持ちを考えることのできる、思いやりのある子供。。。
でも、私は「ちょっとまって」と思ってしまいました。
このお話の「ぼく」はどんなに大きく見ても小学校低学年に見えます。
そんな年の子が、自分がしたいことを抑えて大人の喜ぶことをする・・・。
それって、大人が子供に、大人にとっての「いい子」像を押し付けてない??
それにもし、本当にこんな年の子が、このお話のように考えて行動するとしたら・・・その子は将来、人の顔色ばかり窺って行動する子になってしまわない??
作者には、そんな気は毛頭なかっただろうとは思いますが、私はこの作品を何度か読んで、それでもそういう思いが拭えませんでした。
なので、子供と一緒に読むのは止めました。
この作品は、大人が読むには気付かされることもあったりして良いと思いますが、個人的には小学校前半くらいまでの子供に読むのはどうかと思います。(このため☆3つにしました)
子供と読むなら、小学校高学年〜ぐらい(これくらいになると、親とはもう滅多に読まないかもしれませんが)から、かな?
あと、この作品の最後の最後の部分。
『ぼくも うれしいんだ。
みんなが うれしくなれるように おもいつくのは むずかしいことかもしれないけど。
きっと、さがせば あるんだよ』
もうとっくに大人になってしまい、その難しさを肌で感じている私には、『きっと、さがせば ある』という言葉がずっしりときました。