私自身には「おじいちゃん」との思い出がありませんが、おじいちゃんと孫娘のほのぼのとした日常を垣間見ながら、父(娘にとってのおじいちゃん)のとろけそうに優しい笑顔や、娘のとびっきりうれしそうな笑い声を思い出し、心が温まりました。でも、やっぱり最後はさみしいな・・・。
海辺に向かって歩いていく2人。
“When we get to the beach can we stay there forever?”
“Yes but we must go back for our tea at four o’clock.”
娘もよくforever という言葉を使いますが、あくせくした母親なら、「foreverなんて無理よ!」と、言ってしまいそうなところを、おじいちゃんは、まず“Yes”と、肯定してあげてから、「でも、4時のお茶に間に合うように帰らなきゃね」と言ってあげるところが、本当にすてきだなあ、と思いました。
やっぱりおじいちゃん、おばあちゃんは、時間的にものんびりしているだけでなく、心のゆとりがまったく違うんですね。だから、孫もおじいちゃん、おばあちゃんがだ〜いすき。
最後のシーンでは、やっぱり娘から「おじいちゃんは、どこ?」と聞かれました。
「うーん、どうしたのかなあ?どこに行ったのかなあ?」と、もう1度娘に考えさせてみると・・・
「アフリカに行ったの?」と、娘。
前のページに、「明日はアフリカに行って・・・」っていうセリフがあったんです。
「そうだね、アフリカに行ったのかもしれないね!きっと、そうだね。」
そう思うと、私までなんだかうれしくなって、心が救われる気がしました。
でも、最後には、「悲しいお話だからいやだ」とも。結末もなんとなくはわかるんだけど、あえてそれを聞きたくない、言葉にしたくない、という思いもあったのかもしれません。
娘にも、祖父母との時間を少しでも長く共有して、かけがえのない思い出をたくさん作ってほしいな、と心から願っています。
じいじ、ばあば、どうか元気で、長生きしてね。
(編集部注:洋書版「Granpa」に寄せられたレビューです。)