●かけだしの編集者時代、眠れない夜をなぐさめてくれた賢治の言葉
大学を出て、出版社(偕成社)で働きはじめて8か月経ったとき、雑誌「月刊MOE」が創刊になりました(当時の出版元は偕成社。「MOE」の前身誌「絵本とおはなし」という雑誌からスタートした)。編集者としてもまだ駆け出し。しかも雑誌の編集経験なんてゼロ。泳げないのにいきなり海に投げ込まれたみたいな日々。とにかく必死でした。
毎日本当に忙しくていろんな出来事があって、気持ちが荒んで、家に帰っても眠れない。そんなとき手にとったのが、またもや賢治だったんです。眠るための、いわば儀式のように読んでいました。人間って何か決まった作業をすると気持ちが落ち着くでしょう。
私が大学生のときに、筑摩書房から『校本 宮澤賢治全集』全14巻15冊セット(1973.5〜1977.10)が出版されたんです。どうしてもほしくて、当時バイトしていたパン屋のバイト代をつぎ込んで手に入れていたんです。それは童話だけでなく、短歌、詩、スケッチ、手紙まですべてを収録したもので、『銀河鉄道の夜』についても第一次稿から第四次稿まで、いろいろな改稿が行われていることなども整理した画期的なものでした。
その全集が私の本棚に鎮座していたわけですが、毎晩そのページをめくっていた日々があります。で、そのとき私はふと、ただ読むんじゃなくて、ある作業をはじめたんです。というのは……、賢治の作品っておもしろいところがあってね、全部読んでも宇宙なんですけど、一つの単語だけ取り出して顕微鏡でのぞいてもそこに宇宙があるんですよ。
───一つの言葉をのぞいても、宇宙……ですか?

たとえば「青い」も「合図」もふつうの言葉でしょ。でも「青い合図」(「春と修羅 第二集」より)という言葉にすると、すごく不思議な世界が見えてきませんか。「電信ばしらのオルゴール」(同じく「春と修羅 第二集」より)もそう。「電信ばしら」も「オルゴール」も一つ一つは何でもないのに、くっつけるとちがう世界が見える。
一見無関係の言葉同士を賢治はふっとくっつける。そうするとそこにすごい屈折率がおこって、不思議な現象が起きるんです。人をインスパイアする魔力があるのね、賢治の言葉には。
だから……、私がやっていたのは、眠れない夜のビーチコーミングですね。砂浜にいってきれいな貝殻を拾ったりするような、あれと似てる。賢治さんという砂浜へいって、あ、きれいなのあった。あ、ここにもあった、とひろってくる。賢治の宇宙のなかにある結晶のような言葉をひろいあつめる……。
───『銀河鉄道の夜』のなかに銀河があって、その言葉のなかにさらに銀河があるって……途方もない感じがします。
その通りです。でも作業自体は、お皿を洗ったりひじきを煮たりするのと同じような淡々とした感覚だったかも(笑)。やってもやっても終わらない仕事をやっていると、やったらやっただけの成果が見えることをやりたくなることってありませんか(笑)。お皿って、一枚洗えば必ず一枚はきれいになるからホッとする。あの頃は、ホントに夜中によくひじきも煮てたなあ(笑)。まあ、それと似たようなことでもあったんですけど、とにかく面白かったし、落ち着いたんです。

はじめて宮沢賢治を特集した月刊MOEの1ページ。「賢治作品には、いかにもみずみずしい言いまわしとともに、うつくしく不思議な単語がたくさんたくさんちりばめられています。銀河の砂をひろうように、そんなイメージ豊かな単語の一部をひろいあつめてみました」。
「月刊MOE」で初めて宮沢賢治特集をした1984年の号に、私がひろいあつめた言葉を少しだけ、1ページほど載せました。「イーハトーブ幻想辞典」と題して「雨の卵」「曖昧な犬」「月光いろのかんざし」とか、数えきれないくらいひろったうちのほんの一部ですけど。
そしたら、その号をご覧になった詩人の谷川俊太郎さんが「このページはおもしろい」と褒めてくださった(笑)。私は「えっ」と思って嬉しくて「実はこれ、自分でやってるんです」と告白しました。
谷川さんが「え、そうなの?」とちょっと驚いて、どんなふうに集めてるんだって聞くから、原稿用紙にひたすら書き写していることを言いました。あの頃はまだワープロもないですからね。「抜き出した単語と、その単語がつかわれている文章を、ひたすら書き抜いて、写経のように原稿用紙に書きうつしていく。毎晩、3つくらいひろって、それから寝てる」って(笑)。

長年かけて松田素子さんがあつめた言葉たち。(『宮沢賢治キーワード図鑑』平凡社 所収)
すると谷川さんが、これはおもしろいから、ちゃんと全集の何巻の何ページにのっているかも記録しなさい、と助言してくださった。そのとき、「なぜこんなことをやっているの?」と聞かれたんです。
私は「これは私にとって、いわばビタミン剤みたいなものなので」と答えました。「頭が動かなかったり、気持ちが動かなかったりしたときに、この言葉を2、3粒、ぽんぽんと食べると、ちょっと元気になるので」と。
こんなふうに、賢治作品と、つきあったり遊んできたりしたわけです。
●「さあ、切符をしっかり持っておいで。ほんとうのその切符を、決してお前はなくしてはいけない。」
───子どもの頃、『銀河鉄道の夜』を読みましたが、カムパネルラが最後川に落ちてしまったという結末を覚えていませんでした。覚えていたのは鳥捕りが次々鳥をつかまえて食べる場面や、化石堀の場面、氷山にあたって沈んだという客船の話……。ひとつひとつが印象的な場面の連続で不思議でたまらなかったのです。
でも、大人になって読み返すと、すべて生と死につながっているのですよね。
そうですね。「銀河鉄道の夜」は、亡くなった妹トシへの、まさに埋葬品のようだと感じることもあります。さまざまなものがそこに盛り込まれ、織り込まれていますよね……。鳥の菓子がチョコレート味だったりね。賢治もトシもチョコレートが好きだったんじゃないかな。
───トシ子は、賢治と2歳ちがいで、最愛の妹だったとか。家族のなかでは賢治の最大の理解者だったそうですね。
ええ。トシが病気で亡くなったのが1922年。初稿が執筆されたと言われる1924年頃から、何年にも渡って、『銀河鉄道の夜』は推敲が繰り返された跡があります。そして賢治は1933年、37歳で亡くなりました……。
宮沢賢治の書くお話は、単なるきれいごとじゃない。
『なめとこ山の熊』の小十郎と熊の関係も、いのちは他のいのちを奪いながら生きているという否応のない事実と向き合っている。 『よだかの星』も、最後に天へむかってのぼっていくよだかの口に虫が入ってきて、よだかは泣きながらもそれを食べます。 善悪でもなく、生も死もつながりあう、その巨大な宇宙的なつながりを、宮沢賢治さんという人はつねに考えていたひとなのだと思います。
『銀河鉄道の夜』を、原稿用紙のまま残して、賢治は亡くなりました。生きていればまだまだ加筆したかもしれない。不明な文字があったり、表記の統一もされていなかったりします。原稿用紙で残された作品はほかにもたくさんありますが、殊に、『銀河鉄道の夜』は、いまもまだ、まさに未完のまま動きつづけているような不思議な作品として私たちを魅了している……そんな気がします。
2012年の初夏。岩手県の花巻で、被災地の子どもたちに会い、その前で宮沢賢治のことを話すという役目をふられたことがありました。
引き受けたけれど、しばらくして「ああ、できない……」と思った。「あの津波を目の当たりにした子たちを前にして、私などが何を話せるだろう……。話せるわけがない……」という気持ちもあって、話すかわりに彼らに渡そうと思って、このファイルを作ったんです。
「ジョバンニの切符」という題名をつけて、中には、賢治さんの文章の中から、私が励まされてきたもの、胸に響いた言葉を、あれこれ選んで打ち出した紙を入れました。

松田さんが手作りした「ジョバンニの切符」。主に賢治作品のなかから集められたたくさんの言葉が入っています。

たとえばこんな言葉です。これは『銀河鉄道の夜』の初期形と言われる、第三次稿(ブルカニロ博士篇)から書き抜いた言葉です。
「さあ、切符をしっかり持っておいで。お前はもう夢の鉄道の中でなしに 本統(ほんとう)の世界の火やはげしい波の中を 大股にまっすぐに歩いて行かなければいけない。天の川のなかでたった一つの、ほんとうのその切符を 決してお前はなくしてはいけない。」
銀河鉄道で、ジョバンニのポケットからでてきた切符の色は緑色でした。しかも、それは天上までもいける特別な切符だった。なぜ緑なんだろう……と考えたことがあります。
それはおそらく、最も闇(つまり死)に近い青と最も光(つまり生)に近い黄色がまざって生み出される緑色だったのではないかと、私は思うのです。
銀河鉄道は生と死の狭間を走っています。死者であるカムパネルラと、生者であるジョバンニを乗せて走っている。だからジョバンニは生と死が混じりあった緑色の切符を持っているんだ――。私はそう感じました。
そして初期形と呼ばれる原稿に登場するブルカニロ博士は、ジョバンニに言います。「お前は、お前の切符をしっかり持っておいで」と……。賢治は最終形と呼ばれる改稿で、ブルカニロ博士の存在を消してしまうのですが、「ジョバンニの切符」にこめられたメッセージはきっと変わってはいないと、私は思います。
そしてもう一つ。私はこのファイルのなかに「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」を入れませんでした。そのかわり、あの言葉の最後の2行だけを貼りつけた。「ソウイウモノニ ワタシハナリタイ」という言葉です。
大切なことは、この言葉(詩)を朗読することではなく、覚えることでもない。その最後の2行の、その前の言葉を、私たち一人一人が書くことだと思ったからです。
雨ニモマケズ 風ニモマケズというのは、賢治さんがなりたかった者です。では自分は? どういう者になりたいのか? と考えること。それこそが、賢治さんが私たちに望んでいることではないのかと思っているからです。
───最後に、松田さんにとって、宮沢賢治の作品世界とは何か、おしえてください。
私にとって、宮沢賢治さんは、いわば巨きなエネルギー体みたいなものです。
私の後ろから「お前は何をしているんだ」「お前はどこにいこうとしているのだ」と問いかけてくるもの。叱咤されるときもあるし、勇気づけてくれるときもある。そのときの自分の状況によって本当にさまざまです。いつも背中を押してくる、強くて巨きくてやさしくて厳しい、チカラのようなものです。
───ありがとうございました!

記念にぱちり。
<ミキハウスの宮沢賢治の絵本シリーズについて>
「宮沢賢治の絵本シリーズ」は、今年(2015年)、25作目まで刊行される予定です。来年以降について松田さんにうかがうと、2021年までかけて計37作を刊行できたら……と思っている、とのこと。「だって、ほら、宮沢賢治さんは37歳で亡くなったじゃない。だから、ね」と茶目っ気たっぷりにおっしゃっていました。 2015年は『ひのきとひなげし』(出久根育)と『カイロ団長』(こしだミカ)。そして2016年は『フランドン農学校の豚』(nakaban)と『雨ニモマケズ』(柚木沙弥郎)を刊行予定。この後も、ちらっとうかがっただけでと思わず「わーっ」と声が出てしまうくらい、すばらしい画家たちの試みが続々とづつきます。乞うご期待!
インタビュー:磯崎園子(絵本ナビ編集長)
文・構成:大和田佳世(絵本ナビライター)
撮影:所靖子