●いい絵本に幸せになってほしい
───『うんちっち』『あっ、オオカミだ!』復刊もふしみさんの尽力があったとうかがっています。
2冊ともサイズが大きくなって迫力がアップ。原書と同じA4サイズになりましたね。
新しいところ(出版社)にお嫁にいったら、新しい絵本としてもう一度生まれて幸せになってほしい。翻訳もよりよくするために手を入れました。
『あっ、オオカミだ!』原書の表紙は、色が目立たないくすんだブルーで、横顔のシモンがあわてた絵。でもこれじゃあ『うんちっち』のインパクトに見劣りしちゃう。本のなかからよりインパクトのある絵を探してカバーを変えることを出版社に提案しました。

左から『うんちっち』、『あっ、オオカミだ!』フランス語版、『あっ、オオカミだ!』日本語版
『あっ、オオカミだ!』カバーデザイン案
───シモンの正面の顔、私も大好きです。翻訳で他に力を入れたところはありますか?
字面のバランスや、改行の位置をずいぶん工夫しました。海外の絵本はアルファベットの並べ方で魅せるというか、デザイン性まで考えて文字が配置されていると思います。

フランス語版(上)と日本語版(下)。字面のバランスを工夫されていますもともと、日本語はどうしても長くなってしまって、原書の字面より間延びしてしまうんです。日本語は書き方しゃべり方が多様な言語。お母さんの話し言葉、おじいさんの話し言葉、子どもの話し言葉、いろいろ違う。漢字、ひらがな、カタカナもありますし。でもフランス語はすべて同じ言い方で表記も同様なんですね。
ステファニーの絵本に長い文章は似合わない。本文の魅力は変わらないように、決して意味を変えず、でも、見た目もできるだけきゅっと詰まった日本語にしたいと。
ヨーロッパの文章ってよく韻をふむんです。それを訳すときには、俳句のように七五調にしてリズムをつくったり、聞きやすく耳に残る言葉を辛抱強く探します。「やりたいほうだいしほうだい」もそうですね。
───短い文章のなかに、たくさん試行錯誤が詰まっているんですね。
それが翻訳のおもしろさでもあります。あと『あっ、オオカミだ!』はページ数を増やしているんですよ。
ある日、本当にオオカミが出て(お面をかぶったお父さんだったのですが)こわかったシモンは、「ぼく、もうぜったい『あっ、オオカミだ!』なんていわないよ!」と言います。
これにはオチがあって・・・でも、もったいないことにフランス語版では、最後、お母さんが戸棚をあけるところから、シモンが「ガオオー! おまえをたべてやる!!」と言う結末まで、同じページに書かれてネタバレになっちゃっているんです。

『あっ、オオカミだ!』日本語版の最終ページ〈上〉と、フランス語版の最終ページ(下)『うんちっち』では、シモンが「うんちっち」と言わなくなり、いい子になったところで終わりかと思いきや、最後のページをめくると、今度は「オナラブー!」って言っている。もうひと笑いできるんですよね。それがまた楽しい。なので、第二弾の『あっ、オオカミだ!』も同じように終わらせたかった。
だから「ここ、ページを割りましょう!」「ぜったいそのほうがいいです」ってフランスの出版社と交渉しました。日本語版にするときにページ数を増やしたのは初めてです。
(あすなろ書房の社長):翻訳絵本へのかかわり方が、翻訳者というより編集者みたいだよね。
───出版社の社長さんがそんなふうにおっしゃるのが、ふしみさんならではですよね。
●絵本は、0歳から100歳までのもの
───いままでブックレビューを書くとき、この本はご紹介しやすいな、と思うとふしみさんが翻訳者だったり、これおもしろい本だなと思うと、あれ、またふしみさんだ、と思うことが多かったんですよ。
それはとてもうれしい言葉です。圧倒的な力をもった絵本や、おもしろい!と思った絵本は、人にすすめたくなります。
最近、ヒッチコックが初めてカラーで撮った古い映画「マーニー」を見たんですが、フィルムが劣化して、ヒッチコックほどの人が撮った映画でも、当時の色彩を現代に残すことはむずかしい。デジタル技術で復元したとしてもそれはもとの色と同じではなくて、わずかに残る、当時のスタッフの方の記憶を頼りに「こうだったにちがいない」と推測して完成させるものにしかならないのです。
絵本も同じで、かつて印刷されたフィルムはどんどん消え、作者も亡くなり、もはや美しい古い絵本を残すことがどんどんできなくなってきています。フィルムがなくなったらどうするかというと、「状態のいい古本」をバラバラにしてスキャンしてデータ化することしかできない。近年スキャン技術がすばらしく高度になったから、そういうことができるようになった。20年前の技術では無理でした。でもその方法も、いい状態の古本が入手できなくなったらおしまいです。

『ウィンクルさんとかもめ』などケイト・グリーナウェイ賞をとった作品や、アメリカで権威あるコールデコット賞をとったバージニア・リー・バートンの絵本でさえそうなんです。作者が亡くなり月日が経つとフィルムは散逸し消えていってしまう。私は「子孫に残すべきもの」は残したい、そのまま消えてほしくはない。だから古い絵本も発掘します。翻訳者になったばかりのころ、外国のサイトで購入したり、日本や外国の図書館で見つけたり、好きな絵本のリストは持っています。ただ、いい絵本が、すべて売れる絵本とは限らないので、難しいところなんですけどね。
───フランスでは絵本はどのように読まれているのでしょうか。
フランスより日本のほうが、わかりやすさ、かわいらしさに重点が置かれた絵本が多く出版されている気がします。
フランスの家庭でも、子どもたちは夜寝る前に必ず2冊など決まりごとのようにして絵本を読んでもらいます。もしかして日本の子どもたちよりも絵本に触れているのかな、なんて思ったりもするくらいです。
フランスで暮らして思うのは、絵本というものを、日本では子ども向けの狭いものにしてしまっているように感じるなということ。大人も絵本を買うのはフランスも日本も一緒ですが、フランスではより、絵本はアートである認識や、哲学的な絵本の存在感が強いと感じます。
いま出版先を探している『マックスとモーリッツ』というドイツ語の本があります。1800年代に書かれていて、あえて言うなら『
もじゃもじゃペーター』のような雰囲気の本。本当にいじわるなことしかしない悪ガキの主人公ふたりが、最後は粉々に砕けてアヒルに食べられてしまう話なんです。残酷でしょう。でも民話もグリム童話もこんな感じではなかったかと。私は、チクチクとどこか心をつついてくるような本が好きです。まろやかで口あたりのいいものだけが「絵本」ではないですよね。
ことさら「大人向けの絵本」を作ろうとか、この絵本は子ども向けにしようとかではないと思うんです。
絵本は0歳から100歳まですべての人が手にとれるもの。ただ絵本を楽しんでもらえたら、と思っています。
───ありがとうございました!

記念にパチリ!