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【長新太没後10年記念連載】 担当編集者&絵本作家インタビュー2016/03/31
今回、お話いただいたのは、フリー編集者の土井章史さんです。
土井さんは、編集プロダクション・トムズボックス代表として、長さんの絵本をはじめ数多くの絵本の制作に携わっています。絵本編集者としてもコレクターとしても、長新太さんの仕事を愛してやまない土井さんに、長さんとの出会いやエピソード、作品についても、おはなしを伺いました。
● 長新太っていう人間が好きなんだろうね。
ぼくは、『一億人の昭和史 漫画大図鑑』(1982年 毎日新聞社)というムック雑誌の編集に加わったのですが、昭和の漫画の歴史をまとめた中に「異色コーナー」という枠があり、長新太もその中で取り上げた漫画家の一人でした。不思議な漫画を描いている人として気になったのが最初だね。それから長さんが参加している同人誌を集めはじめました。その頃、そういう商業出版じゃない作品集が、ぼくにはとってもかっこよく見えたんだよね。
――長さんと仕事で関わるようになったのは、いつからですか?
雑誌の編集していたときに、長さんに表紙の絵の仕事をお願いしていたことはあるのですが、絵本では、小学館の幼児雑誌「おひさま」で、長さんが「へんてこライオン」を連載していたときに、長さんの家に通うことになりました。長さんの原稿を小学館の編集者と一緒に受け取るという、すごく楽しい仕事でしたね。
――仕事で会う長さんはどんな方でしたか?
いつも、ご自宅に伺うと、机の上に出来上がった絵がページ順に置いてあって、その上に文章と画稿がありました。ぼくと編集者が最初の読者という形だね。「へんてこライオン」は、何にでも変身しちゃうライオンの話だけど、毎回びっくりするような変身を遂げるから、次に何に変身するのか読みながら予想してもぼくは7割方まで当たらなかったですね。たまに簡単に当てちゃうと、長さんはちょっと悔しがって「まあ、こんなときもあるよね」なんて言っていたな(笑)。100回くらいあった連載の中で1回もネタがかぶらなかったのがすごい。ちゃんと自分でダブらないようにアイデアを書き留めていたことに、プロ根性の凄さを感じました。
長さんはぼくらが原稿を読んでいるのをいつも横でニコニコして見ていました。「次は、いったいどうなる?」って読み手が一生懸命悩んでいるのを見るのが好きなんだよね。ちゃんと子どもに対して真剣に向き合って、真面目に子どものエンターテイメントをやろうという姿勢が素晴らしかった。 ぼくが絵本の編集ではじめて長さんの絵本を担当したのは、当時ほるぷ出版から出版した『ムニャムニャゆきのバス』(現在の発行は偕成社)。自由に好きなように作ってくださいと依頼していたので、テキストも絵もそのまま、編集のへの字もしてないです。
――最初にラフを見たときの印象はどうでしたか?
これはすごい絵本になるなとは思ったけど、その本当のすごさは当時誰も分からなかったですね。ぼくも若かったし、神様みたいな存在だった長さんとの仕事ということで興奮していたから。長新太はこのとき64歳で計り知れないところに行っているよね。この作品が面白いっていうのは絶対わかるんだけど、長年見ていても、こういう発想が長新太から出てくる構造は、今でもまだ分からない!(笑)
――バスから続々とんでもないものが降りてくるお話ですが、突然「まえ」「うしろ」というページが来たり、驚かされる構成も長さんならではですね。
もう絶妙だね。長新太はそうやって休憩を入れるのがとてもうまいですね。ナンセンスのお話の展開の中で、3回くらい繰り返しがあると、4回目すごいことがあってもちょっとだれてしまう。そこで休憩をはさむのが重要なんです。それが長新太の身体に入っていた32ページの絵本のリズムなんだと思います。
――長さんとはどんなお話をされましたか?
長さんは、自分のことはあんまり喋らないタイプだったけど、ボソッとすごいことを言うことがありました。よく覚えているのは、ぼくが編集した長さんの絵本『くもの日記ちょう』(ビリケン出版)という絵本が出たときに「そろそろ、こういう絵本が出てきてもいいよね」と、言ったんです。
――「そろそろ」とは、どういうことだったんでしょうか。
『くもの日記ちょう』は、子どものエンターテイメントに向き合っていた長さんが、はじめて長新太という作家性を全面に出して作った作品ということだと思います。そういう作品というのは、子どもに向けて作られているものとは違う面があるので。「そろそろこういう絵本ができてもいい時代だよね」という意味もあったと思います。
長さんの記念的な絵本という意味でも、思い入れのある作品です。
それから、一緒にタクシーに乗ったときだったか、「長さんは日本だけじゃなくて世界で評価されたいですよね」とぼくが聞いたことがあるんですが、長さんは「いや、ぼくは日本だけでいいんだよ」と言っていましたね。それも印象に残っています。
――確かに長さんの絵本は、あまり海外で出版されていないですね。
長さんの作品は、理屈じゃない。大義名分が通ってないし、なんだか分からない(笑)。世界にもナンセンスのユーモアはあるんだけれど、長さんのユーモアは、もしかしたら日本独自のものなのかもしれないですね。長さんも海外という壁を破る作業をするよりは、一冊でも多く絵本を作りたいという気持ちだったんじゃないかと思います。
――貪欲に売れたいというより、創作への意欲のほうが強かったんでしょうか。
ぼくは、長さんはずっと実験していたような気がするんだよね。
『ちへいせんのみえるところ』(ビリケン出版)とか『ごろごろにゃーん』(福音館書店)とか、いろいろ作っては、どれが受けるのか子どもたちに対して試すような気分で絵本を作っていたように感じます。そこが、見ているぼくらとしては面白かった。
編集者としての関わりでしたが、長さんと一緒に仕事ができるというだけで楽しかったですね。
――土井さんは、絵本以外にも長さんの漫画作品集「チンプンカンプントンチンカン」シリーズを出版されていますが、どのような経緯で作ることになったのですか?
「チンプンカンプントンチンカン」シリーズは、「話の特集」という雑誌で、長さんが晩年10年間くらい連載していたひとコマ漫画とコラムを、本にするべきだと思って、まとめたものです。ぼくは長さんの全部のマンガを面白いと思っているので、そのまま連載の順番通りにコピーして本にしています。
ぼくは長新太のものであれば、何でも手に入れるという悲しい性(サガ)があって(笑)。 この調子で長さんの仕事を集めたら、本はいっぱいできるよね。集めた雑誌は、載っているのは見開きちょっとだけなのに、一冊まるごと取っておいているので、もう、すごい量です(笑)。
――雑誌だけでもすごいコレクションですね。そのほか土井さんのコレクションの中から、とっておきのお宝を見せていただけたら嬉しいです!
『新聞ができるまで』(竹田真夫/著、小峰書店)これは23歳の漫画家・長新太が挿絵をやっている絵本。印刷工場内の絵があったり社会科見学のような絵本です。もうひとつは1970年代のマッチ箱。当時、山口の岩国にあった反戦喫茶のものです。長さんが反戦活動されていたつながりでデザインしています。いいデザインですね。どちらも手に入れるのに苦労しました。
ぼくは、初期から晩年まで、長さんの作品にはずっと常に「やられた」と唸らされているんですよ。集めてて面白いし、関わって面白いし、編集してて面白い。すごい作家です。
――没後10年となりましたが、長さんの評価に変化を感じることはありますか?
横須賀美術館の長新太展(2015年)もそうですし、金沢21世紀美術館で「内臓感覚 ? 遠クテ近イ生ノ声」(2013年)という展覧会をやったときに、国内外のアーティストの中に長新太の作品が入ったり、アートとしてコアなファンが根付いているのは感じます。また、長さんは国内外問わず、画家や作家にファンが多いですね。
長さん自身も現代アートが大好きな人だったし、抽象作家としてもいい作家だと思います。『もじゃもじゃしたもの なーに?』(講談社)の絵なんて、大きいパネルにして、東京都現代美術館のロイ・リキテンスタインの作品の隣に飾ったって、絶対負けないなと思う。ポップアートだよね。
長新太という作家は、子どものエンターテイメントに一生懸命向き合いながら、アートという面白い緊張感を持ち続けていた人だと思います。漫画からはじまって、絵本に根をはり、その一方でアートというキーワードが絶対はずせない絵本作家。それが面白い。
漫画家として出会って、絵本で一緒に仕事をしたけれど、ぼくの中で、漫画家の長さんと絵本作家の長さんは、連綿と違和感なく繋がっています。長新太っていう人間が好きなんだろうね。
――ありがとうございました!
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1958年のデビューから2005年まで独自のナンセンス世界を生み出し続けてきた長新太さん。 長さんってどんなひと? 知りたい方はこちら>>
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