主人公の少年は、遠く離れた神戸で起こった震災をテレビでしか知りません。彼は愛犬「グレイ」を亡くしています。ある日、彼が通うチェロ教室に、神戸で被災した少女が入ってきました。彼女は避難生活の中、「動物まで面倒見られない」という現実に直面し、泣く泣く飼っていた小鳥を空に放した経験を持っていました。そして今でもそのことが彼女の心を苦しめています。「あれでよかったのかなって、今でも考える」。そして、もう一人。二人が「1000人チェロ」の練習会場で出会ったおじいさんがいます。震災で自分の楽器を失ったこのおじいさんが弾いているのは、同じく震災で命を落とした音楽仲間の形見のチェロなのでした。
1998年11月、神戸の大ホール。「阪神淡路大震災復興支援1000人のチェロ・コンサート」。こうして、震災を知っている者は心からの鎮魂の意をこめて、少年のように震災を知らない者は自らの喪失体験を思い起こし重ね合わせて、1000人が奏でる1000の風。
1000人集まれば、1000の物語がある。1000の意味とこだわりがある。心に抱きつつ神戸に集結するその1000の想いが、一人の指揮者のもとで一つの音楽となり、風になって神戸の街を翔けぬける。そして、それはきっと誰かに届く。「新しい明日」に、きっと届く。…人間の姿に、声に、いちばん近いと感じられる楽器、チェロ。それを抱いて奏でる音楽は、自分の分身の歌声…。ひとりひとりが抱く想いは違っても、ひとつの風となったその音色は、限りなくやさしいものであったといいます。
「描いてしまうと忘れてしまうものだから、忘れてはいけない風景は描いてはいけないものなのかもしれない」
震災から5年。コンサートから2年。そんな思いを抱きつつ、ずっと描けなかった風景を、忘れてはいけない風景があることを、いせひでこさんはとうとう絵本にされたのでした。震災当時、一枚も描けなかった神戸の街の場面には写真を用い、あとはやさしくて柔らかくて美しい、光があふれるような色彩と流れるようなタッチの水彩画で描かれています。チェロを弾く人々の姿も、うっとりするほど美しい…。
ただ記録として書きつけ、画像として残すだけでは、いつかはその事実だけが記憶に残るだけで、「たいへんだったんだよ」という声は「あ、そう…」と忘れられてしまうもの。神戸で悲惨な状況にあっても、その足で大阪に向かってみれば、輝くネオン街、にぎやかに通り過ぎる晴れ晴れとした顔の人々…と異次元の世界に入り込んだようであったというあのとき。
けれど、いせひでこさんの凄いところは、震災という悲惨な出来事を、「喪失体験の共有」によって、他人事ではなく、読む人に実感させて記憶にとどめ、語り継がせる絵本に仕上げているところなのだと思うのです。