小学生の国語の授業で読んでから「クラムボンって何なのだろう…」と、ずっと思っていました。
大人になって読み返してみても、はっきり何かはわかりません。
泡かな?とは思うのですが…
単純に考えて泡だとすると、かにの兄弟の会話は、いかにも子どもらしく純粋でロマンチックだなぁと思います。
まるで生き物として、クラムボンを見ていますね。
泡の音が、笑い声に聞こえたのかしら…
クラムボンはわらったよ
クラムボンはしんだよ
泡は儚いものですよね。
掴む事もできないし、 触れても簡単に壊れてしまう
二匹の目には、それが美しくて悲しい不思議なものに見えたのかもしれません。
かにのおとうさんの言葉も、とても印象的でした。
「お魚はこわいところへいった。」は、大人でもドキッとします。
意味がわからない子どもだって、少しはわかっているかもしれない…。
五月のかにの兄弟の会話には、一言も泡という単語が出てきません。
しかし十二月には「やっぱり僕の泡は大きいね。」という会話がされています。
五月のクラムボン、十二月の泡。
これが「クラムボンの正体がわかった」という意味ならば、かにの兄弟もそれだけ成長しているということで、なんだかとても嬉しくなりました。
小学生の頃、やまなしの好きな場面を絵に描くという授業で、私は「川の中に落ちたやまなしを、かにの兄弟が下から見上げている」という場面を描きました。
自分で描いたのですが、今でもその絵が大好きです。
川の中には怖い鳥だけじゃなくて、こんなに素敵なものも降ってくる
どの世界にも美しいものと怖いものがあるんだなぁ…と、当たり前だけど改めてそう感じました。