「おかあさん、おつきさまってアメリカにもある?」「うん」「じゃあ、イギリスには?」「あるよ」―私が4、5歳くらいの時、母とこんな会話を交わした。『おつきさまひとつずつ』の「ちいさいあこちゃん」は私のことだ。月がひとつしか存在しないことを知らず、ましてや広い地球のどこから見ても同一の月であることなど想像すらできなかった幼児の私は、暗い夜空から自分を包み込むように照らしてくれる月に愛着を抱き、素朴な疑問を口にした。ところが母にはそれがよほど印象的だったらしく、私が成人した今でもこの会話が掘り起こされる。そして40年余りの時を経て、絵本になって驚いた。
『おつきさまひとつずつ』の中で、母は何を描こうとしたのだろう? 月夜の下を歩くと、おつきさまが一緒についてくるのがうれしいあこちゃん。世界中の国におつきさまがひとつずつあるのかと不思議に思い、おかあさんに尋ねるあこちゃん。無邪気で突拍子もないあこちゃんの言葉におかあさんは共感し、「あるわよ」「そうね」「ほんとね」とありのままに受け止め、肯定してくれる。そして、あこちゃんと世界のあちこちの夜空に月がたたずんでいる様子を思いめぐらす。
あこちゃんの月への思いは子どもらしく、偽りがない。実際、地球から一番近い距離の天体である月は、地球にはかりしれない影響を与え、あらゆる生き物の生活や存在に作用する。ちいさいあこちゃんは、もちろんそんなことなど分からないが、そのような思いに至るのは、月がそれほどにもあこちゃんの心を動かし、大きく作用しているからなのだろう。自然の力はすごい。子どもの心を一瞬にして捉える。だからこそ、おかあさんもそういう時、「月はひと一つしかないのよ」と言わず、「ひとつずつ」というあこちゃんの言葉に特別な意味を見出し、「そうね」と言ってくれたのかもしれない。
今や二人の娘を子育て中の私は、幼児期の子どもの言葉がいかに衝撃的で印象深いものであるかを目の当たりにする。この間、レストランで使用禁止のトイレに遭遇した4歳の次女は、「なんで?あけたら、へびがいっぱいでてくる?」と真顔で私に尋ねた。吹き出しそうになるのをこらえて、「じゃあ、あけてみようか?」と提案したら、彼女はよりいっそう真顔になり、拒絶した。子どもの想像力たるやとてつもない。娘たちの月への興味や疑問も尽きない。空に月が見えただけで興奮し、月に何か呼びかけている。そして、十五夜のお月見を何より楽しみにしている。幼い娘たちのそんな姿を見て、ちいさいあこちゃんのおかあさんの気持ちが分かる。そして、おつきさまがみんなにひとつずつあってよかったと心から思うのだ。
長野麻子(東京成徳大学子ども学部子ども学科教授)
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