私がこの絵本を手にしたのは、ほんの2年前のこと。
もっと早くこの絵本のことを知っていたら・・・せめて寝付きの悪かった長男に悩まされていた当時手にしていたら・・・
少なくとも育児書を抱え、自分を責める事はなかったと思う。
物語はいきなり「そとは くらいのかな?」と眠りの世界へと入っていく不安から始まる。
あるいは、もう夜、寝る時間だという確認なのかもしれないが、いずれにしても一日を終わらせて「明日」という日を迎えなければならないことを示唆している。
長男がまだ2歳くらいの頃、当時私は次男の出産を控え心身ともに疲れていた。
大きなおなかを抱え、家事をこなし、ちょこまかと動き回る長男に振り回されていた。
最初の子どもという事もあって少々ナーバスに子育てしてたせいもある。
夜の8時、朝が早い長男のこと、とっくに眠たくなっていい頃だ。うとうとして今にも眠りそうになっていたのに次の瞬間ではまた遊びだしている。そんなことを何度も繰り返しながら結局泣きながら眠るということを日常にしていた。
当然思うに任せず私はイライラしていく。全ては悪循環のサイクルに巻き込まれてしまっていた。
その度、眠たいのに眠れないという長男の心理状態に疑問を抱くようになった。誰も長男の眠りを邪魔する者は居ないというのに。
その疑問に答えてくれたのがこの絵本だ!
作者は子どもたちに優しくたたみ掛けるように「今日という一日」を振り返らせてくれる。
かくれんぼをしたり、積み木の塔を積み上げたり、楽しく歌を歌ったりとそれは楽しい一日だったかもしれないし、ひょっとするとおもちゃを無くしたり、頭にたんこぶ作ったり、指に怪我をして泣いちゃったりと散々な一日だったのかも。
大人の自分でさえそんな最悪な気分を翌日に引きずったりすることもあるのに、幼い子どもならなおさらの事。
また作者は「明日という素晴らしい未来」についても気付かせてくれる。
明日は「おはよう!」っていう声で目覚め、おひさまが照らし、朝ご飯を食べることから始まる。
そして昨日できなかった事も出来るようになるかもしれないし、無くしたおもちゃも見つかるかもしれない。
たんこぶだって眠っている間に小さくなるし、友達だってたくさん出来るにちがいない。
この絵本を読んでいくうちに、「明日」という不安を帯びた未来が希望と幸福感でいっぱいになっていく。
明日という日の訪れが待ち遠しく、夜の闇の中でさえ安らかなものに変わっていった。
そうなのだ!!長男は明日という未知の世界に不安を持っていて眠ることが恐かったのだ。
作者は絵本の扉の部分で「思い出すのを手助けしてくれるベンジャミンのために」とはしがきしている。
ベンジャミンとは作者のお孫さんの名前。
大人は以前子どもだった頃、不思議に思っていたことや恐れていたことを忘れてしまう。
忘れるということも大切なのだが、一方で忘れてしまったことを思い出すのに、どれほどの遠回りをしなければならないか・・・。
子どもの目線に立つということの難しさを教えてくれた。
また、絵本を子どもに読み聞かせている私にも未来への希望を抱かせてくれた一冊だ。