子どもの目から赤ちゃんを見たら、かわいくないし、うるさくて臭いし、おさるにしか見えない、というのが正直なところだろう、と思うんですよ。でも、下の子が生まれればすぐに、まわりの大人たちが「かわいいでしょ」とか、「おねえちゃんなんだから」とか言い始める。そこで、「かわいくない」と正直に思ってしまったおねえちゃんが、どうやって、「おねえさんであること」を引き受けていくのか…ということが、描きたかったんです。
赤ちゃんを「かわいくない」と言ったっていいでしょ、という思いもありました。言えないと、つらくなりますからね。でも、言いっぱなしではすまなくて、子どもは、そのかわいくない存在を受け入れていかなくちゃいけないわけです。「弟だと思うと頭にくるけど、サルだ と思えばいっしょにいられる」…というのが、彼女の解決というか、煮つまらないための方法論だったんですね。
身近にも、きょうだいの葛藤というのはいろいろありました。たとえば、私は末っ子なので、自分が生まれたとき、姉はどんな気がしたんだろうな、とか。甥が生まれたとき、おねえちゃんになった姪が、口では「かわいい」と言いながら、冷たーい目で甥を見てた、とか…。
でも、そういうことをモデルにしてすぐ作品を作る、ということは、私の場合、ほとんどありません。「家族の関係」「きょうだいの関係 」ひいては「人間同士の関係」といった、大きな意味でのテーマをずっと考えて、頭の中でころがしているうちに、しだいに一つの作品が形になってくる、という感じです。
「ごきげんなすてご」を作ったときには、まだ自分の子どもはいなかったんですが、親になった今、思うのは、子どもがへんな形で煮つまらないためには、親の役割が大事だな、ということ。子どもの本を作って、子どもの気持ちをずっと考えてきたことが、私個人にとっては 、親になるためのトレーニングでもあったような気がします。
(徳間書店編集部 「ごきげんなすてご」シリーズ取材より)
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