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あなとあな
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投稿日:2015/12/13 |
この絵本を読んで、谷川俊太郎さん文、和田誠さん絵による『あな』という絵本を思い浮かんだ人は相当の絵本通です。
この絵本は長谷川集平さんによる『あな』へのオマージュ(尊敬・敬意)なのです。
実は長谷川さんの代表作でもある『はせがわくんきらいや』は谷川さんたちの『あな』と同じ1976年に刊行されています。
きっとそのことがこの作品を描いた動機だったのでしょうが、長谷川さんは谷川さんたちの絵本にもっと大切なものを感じとっていたと思います。
この本の最後に、こんな文があります。
「ここに だいじなものが うまってる」
長谷川さんにとって、谷川さんと和田さんが開けた「あな」は、子どもの感受性や空想の世界をどこまでも広げてくれる「あな」そのものだったのでしょう。
全体が谷川さんたちの『あな』によく似ています。おかあさんやおとうさんや妹が来て、色々いう。けれど、少年は何かに夢中になっている。長谷川さんのこの絵本では、転校生のふくしましろうとのキャッチボールです。
これはうがった見方かもしれませんが、この転校生は福島原発事故で転校をよぎなくされた少年なのかもしれません。
そういうことを全部含めて、彼らが夢中になっていること。
それに意見するものがいるということ。
私たちの世界はそういうことで出来ている。
長谷川さんは谷川さんたちの絵本からそういうことを感じとのではないでしょうか。
この絵本に付いている帯に谷川さんがこんなメッセージを寄せています。
「集平さん、素敵な返球ありがとう! 穴に埋められた40年の年月が、絵本の中で今日の青空に溶けていきます。」
なんと素敵な言葉でしょう。
この絵本の中でひろしくんとしろうくんはキャッチボールをしているのですが、長谷川さんと谷川さんも絵本という世界で、言葉のキャッチボールをしているのです。
だから、40年という時間が一気に埋まってしまいます。
絵本にはそんな力もある、ということを改めて感じさせてくれた一冊です。
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ヘンなタイトル以上にヘンなお話
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投稿日:2015/11/29 |
この絵本のタイトルを見て、変なこと、想像した人いませんか。
私は、少し、しました。
でも、これはタイトルみたいな変なことではなく、もっと変わったお話です。
まず、最初に書いておくと、タイトルの「チンチンボンボ」というのは、富山の方言で「肩ぐるま」のことだそうです。
作者の女優室井滋(しげる)さんが富山県出身なので、このタイトルがついたのでしょう。
表紙の見返しに「かたぐるまのこと なんていう」と各地の方言がでています。
「くびあけ」「びびんちょ」「うまたんこ」「てんま」・・・そのどれがどの地域の方言なのかわからないくらいたくさんあります。
そういえば、私の小さい頃は「かたうま、して」とせがんでいたような。大阪です。
少し自信はありません。
この絵本のお話は、富山に肩ぐるまの大好きな男がいて、いつもいつもお父さんに肩ぐるまをねだっているところから始まります。
そのうちに、男の子のお尻から根っこがはえてきて、お父さんの肩にしっかり根を下ろしてしまいます。
おそばを食べる時も、お風呂にはいる時も、男の子はお父さんの肩から降りないのでどんどん根っこは太くなっていきます。
いつもお父さんの肩にのっていますから、高いところの用事もへっちゃらです。
富山は雪国ですから、屋根の雪下ろしも平気です。
でも、お父さんは困りますよね。
いつも高いところが見ることができるので、男のクラスの背の低い女の子までが「チンチンボンボしてほしい」とねだり始めて、その女の子はお父さんをよじ登り、男の子の肩にまでのってしまいます。
海のホタルイカの群れまで見えてしまいます。
ところが、その女の子と同じことを考える子どもたちがいて、みんなどんどんお父さんをよじ登り、男の子をよじ登り、という具合に、子どもたちの「チンチンボンボ」はうんと伸びていくのです。
最後にどうなってしまうかはお楽しみとして、ね、タイトルも変だけど、お話もヘンでしょ。
そんなヘンはお話に長谷川義史さんの絵は、どうしてこんなに合っているのでしょう。
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遊びは世界を知る最初
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投稿日:2015/11/27 |
「本は大切にあつかいなさいよ」、そんな小言を子どもたちに言ったことはありませんか。
でも、お願いですから、この絵本に限ってはそう言わないで下さい。
むしろ、「本全部を使って遊んでいいよ」と言ってあげてください。子どもたちにこの絵本を渡した瞬間、子どもたちは身体いっぱい使って、この本と遊ぶにちがいありません。
押したり、揺すったり、立てたり・・・。
でも、驚かないで。それでいいのです、この絵本はそういう作品なのですから。
そもそもこの絵本には「これは、よむほんでは ありません」と、はっきり書かれています。
本だから「読む」もの、というのは誰が考えたのでしょうね。
本はもっと自由でいいのではないでしょうか。
この絵本では「まるで いきているような」、黄や赤や青の「まるを つかって あそぶ」ようにできています。
遊ぶ? 絵本で遊ぶ? そうです。絵本で遊ぶのです。
少し遊んでみませんか。
白いページに黄色いまるがひとつ。「きいろいまるを おして つぎへ いこう」と書かれています。
さっそく、黄色いまるをおして、次のページをひらくと、あれれ、黄色いまるが二つに。
これって、おとなの人たちが夢中になっているスマホみたいですね。
指一本で世界が変わっていく。
もっとページをひらいていきましょう。
左のページに黄や赤や青のまるがかたまっています。「みぎに かたむけたら・・・? やってみる?」と書かれています。
もちろん、やってみます。右に傾けて、ページをひらくと、あらら、黄や赤や青のまるは右のページにうつっています。
この絵本はただ単にページをひらくものではありません。
絵本全部で遊ぶ本なんです。
そして、大きな世界を感じる絵本なんです。だって、子どもたちの手の中にあるこの絵本は生きているのですから。
フランスの絵本作家エルヴェ・テュレに日本の詩人の谷川俊太郎さんが訳した、これは「あそびのほん」です。
遊ぶって世界を知る、最初の一歩ですもの。
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もっと本のことが知りたい
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投稿日:2015/11/26 |
本のことを初めて知ったのはいつだったろう。
生まれた時からあったにちがいないが、生まれた時のことは覚えていない。小学校にはいって、教科書というものを手にした時が最初なのか、その前に幼稚園に行っていたのだからそこでは絵本はあったはずだが記憶はない。
あるとしたら、本はずっとそばにあった(はず)という感じだけだ。
そして、今はたくさんの本に囲まれている。本を手にしない日は、ない。
けれど、本のことをどれだけ知っているだろう。
「本のことがわかる本」という、このシリーズは子ども向けに書かれていて漢字にはルビもふってあるけれど、3冊ものということで内容はとても詳しい。
その1では、タイトルのとおり、「文字のはじまり」から説明がされている。
でも、そもそも本って何だ?
1964年にユネスコで定義されていたことが、ここには記載されている。こういうことはあまり知らないだろう。そういうことが載っている本だということだ。
「表紙を除いて本文が49ページ以上の非定期刊行物」がその定義だ。
つまり、49ページ以下のものは本来は本ではないということになるが、そもそもこの本自体が31ページしかない。では、これは本ではないかというと、ユネスコの定義には例外もあるということらしい。
そこで、「現代のおける「本」の条件」というものが説明されている。
まずは、「コンテンツ(内容)があること」。次に、「表紙があって製本されていること」。それに「持ち運びができること」となる。
製本といっても、「糸とじ」とか「無線とじ」とかいくつもの方法があって、この本にはそんなことも書かれている。多分大人だってあまり知らないことかもしれない。
それが「本の条件」だとしたら、「電子書籍」は本にあてはまるのだろうか。「表紙があって製本されて」いないじゃないか。
これは紙ができる以前の粘土板やパピルスに文字が書かれていた時代に近い形態かもしれない。
本ではないが、情報を伝達しうる最新の技術として。
本が好きだから、もっと本のことが知りたい。これは恋愛感情に似ている。
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アンクルトリスだけじゃなく
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投稿日:2015/11/22 |
この小さな絵本の作者、柳原良平さんにことを話しましょう。
柳原さんは今年(2015年)8月17日に亡くなりました。奇しくもその日は柳原さんの84歳の誕生日でもありました。
柳原さんといえば、誰もが「アンクルトリス」を思い出します。
子どもたちに「アンクルトリス」といってもわからないでしょうが、サントリーという洋酒メーカーのCMに登場した人気キャラクターです。その頃、サントリー宣伝部には開高健や山口瞳といった文章の達人がたくさんいました。彼らが作りだすコピーに柳原さんが描くイラストはとてもマッチしていました。
洗練された細い線、大胆なディフォルメ。
お酒を飲む人にとって、柳原さんの「アンクルトリス」ほどなじみのキャラクターはいませんでした。
それだけではありません。
柳原さんは船が大好きで、船のイラストや絵本もたくさん描いています。
そこでも柳原さんの線は柳原さんのままです。
そんな柳原さんのこの絵本を見つけて、うれしくなりました。
これは、野菜の絵本です。
単純素朴に野菜が描かれています。丸っこい、くるりとした目をしただいこんが赤一色の背景に一本だけ描かれています。そえられた文は「だいこん いっぽん」、それだけ。
次のページには、二本のにんじん。そのうちの一本は、目をつむっています。そのまつげが長い。こんなところにも、柳原さんの絵の特長がでています。
きゅうり、かぼちゃ、たまねぎ、トマト、じゃがいも、ねぎ、ごぼう、れんこん、なすび、とうもろこし、ピーmン、きゃべつ、いんげん、えんどう、そらまめ、ほうれんそう、とさまざまな色と形状をした野菜が描かれていますが、そのどれもが柳原さんの絵のタッチなんです。
そして、たくさんのやさいが並んだお店にやってくる、男の子とお母さん。
買い物するお母さんも料理をするお母さんも、どうしてか目をつむっています。
柳原さんにとって、目をつむるというのはやさしさを表しているのかもしれません。
今夜のおかずはなんでしょう。
そこに「アンクルトリス」が帰ってきてウイスキーを飲む、なんてことは、さすがに絵本ですからありません。
でも、柳原良平さんは、ここにいます。
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なんのために生まれて
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投稿日:2015/11/20 |
まんが家やなせたかしさんが亡くなったのは2013年10月13日。享年94歳。
こんな話を聞いたことがあります。
『アンパンマン』のあんこって、粒餡なのかこし餡なのか。答えは、粒餡というのが絵本・児童書の出版社フレーベル館ではいきわたっているそうです。理由は、やなせさんがこし餡が嫌いだったとか。
でも、アンパンマンのあんこには粒粒が描かれていないから、こし餡ではないのかと思ってしまいますが。
やなせさんがいなくなっては、永遠の謎かもしれません。
アンパンマンのもととなる『あんぱんまん』がフレーベル館から出版されたのは1976年です。もう40年近く前のことです。元々ひらがな表記の名前でした。手も現在とちがってきちんと五本指で描かれています。やなせさんが57歳の時です。
この本は、やなせさんの伝記です。
児童向けに書かれていますから、漢字にはルビもふられています。アンパンマンが大好きな子供たちが少し長い文章も読めるようになれば、その作者のことを知るのに、とてもわかりやすく書かれています。
何故なら、著者の梯久美子さんは一時期やなせさんが編集長をしていた雑誌「詩とメルヘン」の編集者として働いていたことがあるからです。
きっと仕事中のやなせさんの姿をそばで見ていたと思いますから、たくさんのエピソードがあると思います。けれど、この本はやなせさんの側面を語る場ではないことを、梯さん自身がよくわかっていたのだと思います。
読者である子どもたちにやなせさんが信じていたこと、願っていたことをどう伝えるのか。
あるいは、アンパンマンというヒーローを生みだしたやなせたかしという人はどんな人であったのか、子どもたちが読みやすい内容と長さで、どう伝えていくかが梯さんの試みだったと思います。
それにしても、アニメになったアンパンマンのテーマソングはなんと深いのでしょう。
この本の中でもそれはきちんと述べられています。
やなせたかしさんの願いは、ここには過不足なくうたわれています。だから、東日本大震災のあと、多くの人たちの心に届いたのではないでしょうか。
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どんな芽を出すの?
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投稿日:2015/11/15 |
野菜の植え付けには、種から育てる方法と苗を植えて育てる方法があります。
芋類は親芋を植え付けます。
例えば、だいこんは種から育てますし、キャベツは苗から始めます。エンドウは種からですが、季節によっては日当たりの加減もあって、小さなポットで苗の状態にして植えかえするようなこともあります。
種の場合、気をつけないといけないのが鳥の攻撃です。土の中に埋めて見えないはずですが、どうしてもほじくりかえされるということがあります。ですから、防虫ネットをかけます。
また種によっては発芽しない場合もあります。そのため、何粒かを同時に蒔いて、芽が出てきたあとに間引きをしたりします。
種から始めるのがいいか苗からがいいのか、それぞれの野菜の特性がありますから一概にはいえません。
ただ、種の場合は土がぽっこり膨らんで、さてさてどんな芽がでてくるのかという楽しみはあります。
この絵本も、そんな楽しみを描いた作品です。
なんといっても、クロケット・ジョンソンさんの絵がいいです。特に背景が描かれているわけでもなく、線も色も素朴です。それでも、この絵本の持っている雰囲気がよく伝わってきます。
男の子がにんじんの種を「ひとつぶ」土にまくところから始まります。この子、勇気があります。「ひとつぶ」だと発芽しない可能性もありますから。お母さんもお父さんもお兄さんも「芽はでないと思うよ」と言いましたが、男の子は毎日水をあげたり草をとったり、しっかり世話をしてあげます。
でも、なかなか芽は出てきません。
野菜によっては発芽に時間のかかるものもあります。
男の子はそれでも待ち続けます。すると、どうでしょう。
ある日、芽が出て、またたくまに男の背丈以上に育っていきました。
そして、大きなにんじんが収穫できました。
たったこれだけの話ですが、この男の子の根気のよさには脱帽です。
どんなことも、いつか芽がでることがあります。そのことをこの子は教えてくれているのかもしれません。
これだけ大きなにんじんを、男の子はどんな風に食べるのでしょうか。それを考えるのも楽しい、絵本です。
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てんとう虫は大事に
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投稿日:2015/11/08 |
時々絵本を読んでいて思うことがあります。それは父親の不在です。
子供が主人公の絵本に父親が描かれないお話が割りとあります。シングルマザーと子供。そのことに何か作り手の意図があるのでしょうか。父親不在があたりまえのように描かれるのは。
この絵本でもそうです。
「じぶんのはたけをつくりたい」と言い出す男の子エディと妹リリー。二人の子供のお母さんとおじいさんが登場するのですが、父親は出てきません。これはどうしてでしょう。
このことはこの絵本の内容と直接関係しないのでしょうが、少し気になりました。
さて本題。
自分の畑をつくりたいと始めたエディですが、もちろん畑作りは初めてですから、種や培養土を買うところから始まります。そして、庭の土を耕して、種を植えていきます。
まずまいたのは、えんどうまえ。その夜にエディがお母さんに読んでもらった絵本が『ジャックとまめの木』。なるほど、これはうまい手ですね。エディは自分がジャックになった気分です。
ここからが大変。エディはもっともっと種をまきたくなったのですから。
ひまわり、ナスタチウム、ブロッコリー、とうもろこし、それにかぼちゃだって。
芽が出た苗は畑に植え替え。いつの間にか庭の畑はたくさんの野菜におおわれています。
この絵本がいいのはここから。畑にあつまってくる鳥やら虫たちのことがきちんと説明されています。
例えば「はっぱやはなのしるをすうあぶらむし」。てんとう虫や虻の幼虫の大好物、と描かれています。ということは、てんとう虫は野菜を育てるにはとっても役に立つ虫だということです。
反対になめくじは畑を荒らす大敵。気になって仕方のないエディは夜になってお母さんと駆除します。
懐中電灯の明かりでなめくじをとるエディとおかあさんの姿はなかなか他の絵本ではみられない絵かもしれません。
こういうところをきちんと描くのは、野菜絵本の鉄則です。
この絵本の巻末には「野菜の育て方」として何種類かの野菜の育て方と種まきの方法などが書かれていて、入門本として少し大きな子供にもいいかもしれません。
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いつだって、読書日和
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投稿日:2015/11/01 |
読書週間の歴史が古い。
もともとは1924年に制定された「図書週間」にさかのぼる。当時は11月の中旬だったそうだ。現在のような形になったのは戦後まもない1947年。文化の日をはさんだ10月27日から11月9日までの2週間となったのは戦後の2回目からだそうだ。
「読書の力によって、平和な文化国家を作ろう」という趣旨のもとつくられたこの週間も、今年(2015年)で69回を数える。今年の標語は「いつだって、読書日和」。
雨がふれば室内で、晴れた日には公園のベンチで、そういつだってどこでだって本は読める。
電気がなければ、月の明かりでさえ読めてしまう。本というのは実に便利なものだ。
それに本さえあればどこにだって行ける。過去であろうと未来であろうと。秘境であっても大都会でも。
そんな本に見向きもしないなんて信じられない。
そんな人たちに、この絵本を読んでもらいたい。
ちいさな女の子ルイーズは黄色いレンンコートを来て、今日もおでかけ。
さてさて、どこに行くのだろう。
ルイーズは道のそこかしこでいろんな世界を体験している。道端でハーモニカを吹いている青年。大きな犬。古ぼけたおばけ屋敷のような家。薄暗いごみ捨て場。
とうとう雨まで降りだして、それでもルイーズはどこに行くのだろう。
彼女が着いたのは図書館。
ちいさなルイーズの前にずらりと本が並んでいる。
「ほんは、たんけんしたり、かんがえたり、ゆめをみたりするのをてつだってくれるんだ」。
ルイーズは本の世界を、自由に(そう、本を読めばいつだって自由だ!)とびまわっていく。
こわかったことも暗い気持ちもいつの間にか忘れてしまっている。
「ほんをひらけば、いろいろなせかいがみえてくる。ほんをひらけば、しらなかったこともわかってくる」
まるで読書週間の標語みたいだが、本当にそうなのだから仕方がない。
本を読まなくなった人たち、本を読めない人たち、がこの絵本を読んで、本の世界を楽しんでもらいたい。
最初のページの献辞に、作者のトニ・モリスンはこう書いている。「あらゆる場所の図書館員のみなさんへ」と。
これはきっと、図書館員さんへのエールだろう。
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夜を楽しむ
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投稿日:2015/10/25 |
季節の移ろいは寒暖の変化もあるが、夜の長さでも季節が変わったことがわかる。
夏から秋へ、気がついたら夜はうんと早くその帳を下し、どことなく暗さも増したような気がする。
秋の夜長とはうまくいったものだ。
長くなった夜に少し得をした気分になる。
みやこしあきこさんのこの絵本を読んだあとも、その少し得をした気分を味わった。
お母さんウサギに抱っこされて家に帰る、子ウサギ。
レストランも本屋も店じまいを始める時間。都会では夜中になっても煌々と灯りがついているが、本来夜は誰もがその日の活動をやめて、明日にそなえるもの、だったはず。
「よるって とても しずか」、そんなことさえ忘れている。
静かだから、家の灯りから人の話声がぼそぼそと聞こえてくる。
誰かが電話で話している。
どんな話をしているのだろう。
おいしそうな匂いもする。
一日の営みの終わりにおいしい料理をこしらえる。作ってくれる人がいて、それをおいしいと食べる人がいる。
くつろいでいる人も、パーティで騒いでいる人も、みんな夜を愛おしみ、楽しんでいる。
これから出かける人が、さよならの抱擁をしている。
みやこしさんの絵のタッチの、なんという優しさだろう。
例えるなら、静かな夜にふっと浮かび上がる蝋燭の明かりのような。
やがて、夜はふけていく。
お風呂にはいってくつろぐ人、昨日の続きの本を読みながらいつの間にか眠ってしまう人、こつこつと静かな足音が去っていく。
「いつもの よる/とくべつな よる」、夜にも色々あるけれど、ベッドの毛布にようにそれはいつもどこか温かい。
絵本にいれられて言葉はとても少ないけれど、それがまるで夜の静かさをこわさないよう、作者の優しさのようでもある。
こんな素敵な夜には子ウサギはどんな夢を見るのだろうか。
寝床の子どもに読み聞かせながら、いつの間にか一緒に眠っている。枕もとには、この絵本があって、もしかしたら、こんな風につぶやいているかもしれない。
「おやすみなさい」。
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